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火垂るの墓のKtoのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
4.5
【ひとこと説明】
「僕は死んだ」という結末を先に提示して物語が始まり、死へと向かっていく兄妹 清太と節子の姿を淡々と描写し続ける話。
とても悲しい映画。

・「『となりのトトロ』のような楽しいアニメを見ようと映画館を訪れ、楽しいトトロを見た後に『火垂るの墓』を見て、衝撃を受ける、涙が止まらない、茫然自失で席から立ち上がれない観客が続出したという」
・「英国の映画雑誌『エンパイア』誌が発表した「落ち込む映画ベスト10」の第6位にランクインされた。」
(引用元:Wiki)

【感想と考察】
まだ「アニメは子供向けのもの」という認識が強かった公開当時、容赦ない展開と無惨な描写に驚く観客が多かったらしい。しかし、同時にアニメを芸術の域まで高めたという評価もある。

二人の声がとても淡々としていて、残酷な現実とのギャップがあり、それがかえって離人感を出していて怖い。ジブリ作品らしい”棒読み”トーンが、とても残酷に感じる。「この世界の片隅で」にも通じる修飾の少ない声。

粛々と迫ってくる悲劇に翻弄される子供達の描写で話が進むので、娯楽映画的な展開は殆どなく”右肩下がり”の構成。「となりのトトロ」と2本立て上映されていたらしいんだけど、いまとなっては信じられない豪華さ(残酷さ)だよね。

戦禍の描写は、原作者の野坂昭如の実体験に基づく所が多いらしい。作者の妹も栄養失調で亡くなっている。ただ実際は、生きている間は妹のことを疎ましく感じていたり、頭を叩いて厳しく接したりしていたらしく、作品内で清太が節子に優しいのは「(亡くなった妹に対して)せめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めて、」書いたからとのこと。(参考:Wiki)
そうやって見ると、節子を見る目も変わってくる。より辛い…。

「泳いだらお腹減るやん」「お腹ビチビチやねん」とか、節子の言葉一つ一つが重くのしかかってくる。劣悪な環境や愚かな全体主義が蔓延る中では、こういう純粋な言葉が一番悲しい…。

死前期の節子の様子がおかしくなるところで、全てを悟ってしまう清太の涙が本当に悲しい…。

悲しい。
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