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火垂るの墓のぐりのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
3.5
戦争モノとして後世に語り継がれてほしい素晴らしい作品ではあるんですが…多分もう2度と観ません。今作は図書館で観たんですが、なんで私生きてるんだろうと病みながら帰りました😔1日3食の生活が申し訳なくなりました😔1度は観るべき作品ですが、観たあとのダメージがデカいので心が健康なときにどうぞ😔

他の人の感想を読んでいると、「清太が働きに出なかったから節子が死んだ(清太にも非があった)」「親戚の叔母さんの言ってることが正しい」という意見が多くあって、確かにそれはそうなんですけど…なんだか、とても悲しくなりました。だって、彼はまだ14歳だったんですよ…😔ただでさえ両親が亡くなったことで清太はかなりのショック(絶望)を受けているはずなのに、たった4歳の妹(節子)を決して1人にさせない(寂しい思いをさせない)ようにと、必死で生きたんです。節子の前では常に元気な様子でいて、泣きたいときは声を押し殺して泣いたんです。そうして節子のためだけに、清太なりに精一杯生きた結果を、私は責めたくないのです。私は清太が節子より先に死ななかった時点で、よく頑張ったね、偉かったねと褒めてあげたい気持ちでした(泣きはしなかったけど)。ちなみにこれについて高畑勲監督は「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と述べていて(Wikipediaより)、監督の言う"再逆転した時代"がやってきたことに監督と同じように恐ろしさを感じました😔

だけど清太のように精一杯生きたのは親戚の叔母さんや他の人たちも一緒で、戦争の残酷さを改めて感じました。道で倒れている人を看病できないほどにはみんな生きるのに必死で、結局他人の子は他人。他人を匿う余裕なんてなかったんです。でもそれを私たちが責めることなんてできないんですよね。だからもう…ただただ苦しかったです😔

美味しいお米を食べれていることや、家族が当たり前にいることにもっと感謝して生きようと思いました。それにしても、タイトルが凄いですね〜。原作があるようなので、機会があれば読んでみようと思います。

📝思い出メモ
・お風呂でタオルを沈めて空気入れて風船みたいにするの昔よくやってたな〜!!
・小学生のとき火垂るの墓を観て(多分全部は観てない)、1度だけドロップ缶を買ってもらったことがあるんですが、あんまり好きじゃなくて残しました(ごめんなさい)

〇追記
岡田斗司夫さんのYouTube解説動画を見ました。ここまで作品を読み解くのは凄い。映画って面白いなと改めて感じました。解説を聞くに、清太は自分の戦争下での生き様に後悔しているから、現代(公開当時)になってもずっと自分が死ぬまでの約3ヶ月間の様子を何度も見返している、ということですかね。うーん。社会で生きるということはみんなと生きるということで、孤独は死を意味する、清太が思うほど世間は冷たくなかった、みたいなメッセージはわかったけど、やっぱり清太を批判する気にはなれないです。高畑勲監督の描きたかったことが全然伝わらないのは、高畑勲監督が天才すぎるからだということには納得しました(笑)またいつか観ます、多分。

️📝子供の頃に観た映画
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