これは何回観ても心がエグられる作品『火垂るの墓』。ジブリ、高畑勲監督作品。
最近テレビでやらないな、と思ったら、色々反戦的な批判を受けてたり、劇中に出てくるサクマドロップがモメたり、それが転じて視聴率の問題だったりで放送されなくなりがち、らしい。
確かに、この映画、今のご時世的には少々残酷というか、過激。
太平洋戦争末期、神戸は1945年3月と6月に大きな空襲があったらしい。
この物語はそれによって母を失い、少年清太と幼き節子の2人の数カ月に及ぶ貧しい日常を描く。
何が過激って戦争の戦火による場面もさることながら、彼ら2人の生活。
母が無残な姿でこの世を去ったり、
疎開先のおばさんには厄介者扱いされたり、
耐えかねて飛び出したと思ったら壕で地を這う生活をしたり、
節子がどんどん衰弱したり、
それを見兼ねて清太が畑泥棒や焼ける人の家に入って空き巣を謀ったり、
いきなりの冒頭のシーンが結末なわけだが、駅前の汚い地面で事切れたり。
とにかく、何もかもが今にしては想像を絶する世界がある。
反戦ではないにしても、戦時下の日本で親を失うとどうなるか、と言う、徹底的な無常感が漂う。
清太も学生ではあるが、まだ自立もできず、節子の面倒もあるから長時間離れるわけにもいかず、何かをしたいがこれといって糸口も見出せず。
親が残した貯金や私財の使い道も限られ、あっという間に底を尽き、今日生きれるかもわからない。
改めて観ると、もっとやり方があったんじゃないか、
おばさんちを出なきゃよかったんじゃないか、
貯金の使い道や使い所が他にあったんではないか、
その少しのタイミングや知恵と我慢であと1ヶ月、いや、1週間生き延びてれば結果は違ったんじゃないか、
と、思ってしまう。
が、この時代の過酷で無情で残酷さは今では計れないものがあり、その中に子供2人という状況がどんなことか、というのが、もう観てていたたまれなくなる。
「僕は死んだ」
から始まるこの映画。
それを2人で微笑みながら、遠くを見るように当時を回想するような設定。
そして、この現代の神戸の街並みを2人で見下ろして終わるラストシーン。
それが何を意味しているのか、ただ「悲しいね」では言い表せない、恐ろしさすら感じる意味深い映画。
だから、観る人によっては本当に辛いだろうし、恐いと思う。
あの、節子の“おはじき”とか胸が痛すぎるし、戦争終わって疎開から戻ってきた3人の“洋服娘”が「この風景、懐かしいわぁ〜」とか陽気に壕がある池を蓄音機の音楽と共に眺めてるとか、ちょっとしたシーンですら、この2人の生き様を察すると色々考えさせられる。
徹底的に心をエグり去っていく作品。