火垂るの墓のネタバレレビュー・内容・結末 - 9ページ目

「火垂るの墓」に投稿されたネタバレ・内容・結末

「昭和24年9月27日、夜。
…僕は、死んだ。」

学生帽を被った少年が、駅の構内で座り込んでいる自分を冷静に見ていました。
座り込んでいる自分は、裸足でボロボロの服を着ています。息をするのもやっとのような有様です。

駅を行き交う人々は、そんな少年に冷たい言葉を投げかけます。
少年は倒れながら、妹:節子の名前を呟くのでした。

少年だけではありません。駅のそこかしこに同じようにボロボロの少年たちが倒れていたのでした。

とても良い映画です。
この映画を説明するなら、上記の一言。
でも、もう一言言わせてもらえるなら…観るのが、一番辛い映画です。

妹が栄養失調で衰弱しながら、おはじきをなめています。
もうろうとした頭で、昔食べたドロップと勘違いをして、最期の力を振り絞り
「兄ちゃん、おおきに。」
そういう節子のシーンを辛すぎて観てられません。

節子に対する兄の生き方、親戚の家に戻らなかったことに対する意見がありますが、それは戦争の無い時代に生きている人たちだからこその意見だと思います。

この時代、このような兄妹が山ほどいたのでしょう。みんな、生きるのに精一杯でした。

戦争で亡くなった方々が、あの世で少しでも楽でありますように。
つらすぎる。出来ればつらすぎるからもう観たくない。。これほどまでのインパクトを与え、トラウマを植え付けるほど救い様のない内容が悲しすぎる。死因が栄養失調というのが、また...悲惨。
食器洗いでもなんでもしておばちゃんとこ住ましてもらえばよかったのに...節子が可哀想。戦争の恐怖や一般人の殺伐とした態度がリアルでつらすぎる。
戦争の恐怖もさながら、社会適応力のなさについても伝えている本作は確かに、清太の貯金の多さやおばちゃんがいることを考えると、どうにかなったのでは?と思ってしまうし、父が海軍で亡くなったから手当が出るのでは?と思うところがあるので、そういうことなのだろう。すべては清太が幼いから、戦争で混沌としていたからであり、戦争孤児というもののリアルが描かれている...。ドロップとホタルの演出が上手い。より辛い思いになってしまう。
ある種、戦争についての教育的な映画だと思うので、本作は本作で日本人にとって大切な作品だと思う。
4、5回目。風が吹くときと張る鬱っぷり…死んでからも幽霊になって死ぬまでの過程永遠ループしてるの辛すぎ……今回見て、引き取ってくれたおばさんが自分の子には雑炊の米を入れるのに清太さんには入れてない事に気づいてまじか…まじかよ…辛すぎ…。あと最後にビルが並ぶ現代?の街を見下ろす清太と節子…こんな終わり方だったんだ… 見るたびに新しい発見があるのがジブリのいいとこだけどこれは当分見たくない…つらすぎ 何を学べばいいのだ ただ辛い
テレビでやっていたのを、20年ぶりくらいで見た。
これは突き抜けた作品だと思う。見るのがつらすぎるし、登場人物の行動に疑問もあるが、とにかく突き抜けている。

もしかしたら、是枝裕和監督の『誰も知らない』は、現代版『火垂るの墓』なのかも知れない。そう思うと、親戚の家を出た清太の行動にも、「これはこれで仕方がなかったのかな」と思える。

節子の死んだ後、全然関係ないお嬢さんたちが全然関係ない家に疎開先から帰って来て、蓄音機をかけ、そこから流れる「埴生の宿」が壕まで聞こえてくる、あのシーンのアイロニーが衝撃的すぎて、突然暴力を振るわれたように呆然としてしまった。
宝石のような節子の骨をドロップの缶に詰め、という最後の台詞も、内容の悲しさと、台詞回しのちょっと信じられないようなぶっきらぼうさと、いろいろなものがみなぎっていて、わけのわからない感情にされる。

スコアには目安以上の意味はないが、満点以上だと思う。
原作野坂昭如の短編小説を制作スタジオジブリ、監督・脚本を高畑勲が務めたアニメ映画である。

駅構内で死んだ主人公の少年の腹巻の中から発見されたドロップ缶を駅員が放り投げると、缶の中から小さい骨のかけらが転げ出し、その骨が少年の妹の遺骨であることの説明から、時間がカットバックで神戸大空襲へ戻り、そこから駅構内の少年の死までの時間経過をたどる印象的で自然な流れとなっている。
蛍のように儚く消えた二つの命、不朽の戦争関連映画。


ホタルを見たり
ドロップ缶をみり
戦争…
夏になると思い出す

名作