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ローマ法王の休日のNMのレビュー・感想・評価

ローマ法王の休日(2011年製作の映画)
3.0
前知識なしだったため、当然感動モノだと思って観たら意外過ぎる作品だった。教会関係の映画は当然こういうストーリーなんでしょうという我々の思い込みを逆手に取ったような作品。

「こんなコンクラーベは嫌だ」 な作品。
超適当に行われた教皇選出により起こる悲劇。天下のヴァチカンなのに学級委員長でも決めるかのようなノリ。
ドタバタではなくぎりぎり現実でもあり得そうなレベルで、何が面白いかどういう皮肉かを完全には説明しない見せ方。なんかめっちゃ拝んでるんですけど、なんかめっちゃ食べてますけど、と示すのみでとどめる。
映画等で、地位と権力に憑りつかれた聖職者というキャラクターはよく見るが、どうしても地位が欲しくないというのは割と珍しいかもしれない。
お薦めできるとしたら、コメディが観たい人でも信仰を持つ人でもなく、オペラや文学等が好きな人。

冒頭、神妙な面持ちでコンクラーベに向かう神父たち。
お祈りの言葉が途中でつっかえたり、間の抜けた記者がいたりと、早速おかしな雰囲気。
いざ投票が始まると神父たちは各々祈っているが、内容はなんと「私は選ばれませんように」。しかも全員。
哀れにも決まってしまった一人の神父。良い人であり信仰も十分だが、あまりの重責にたまらず逃げ出す。
無理だという訴えは誰にも聞き入れられず、大勢の前で医師やらカウンセラーに診せられる。もちろんおかしいところなどない。世界中があまりにも多大な期待を寄せる立場に選ばれて急に心の準備などできなくても当然。もちろん現実はこんな決め方はしないとは言え。

しばらく見ていると、選ばれた教皇はとても謙虚だからこそこうなった、とても人間的で普通の人物。個人的には、ああこの人こそ適任ではないか、という印象を誰しも持つのでは。

二人目のカウンセラーに対し、自分の職業を「役者」と偽ってしまったときの彼の悲しさ。信仰を隠すことはこの宗教においてなかなかに宜しくないことだろう。よりによって役者というところが皮肉。
微笑みながら悲しみを抑える様子は涙を誘った。
実際に役者の夢が断たれた経験があり、子どもの頃は女の子とも喧嘩した話などもあり、教皇を完全に人間として描いている印象。

街へ消えた教皇が追われる様子は、まるで監禁から逃げだしたよう。追っ手も誘拐犯にすら見えてしまった。この広報担当者はほぼほぼビジネスマンであり、ついには代理まで用意してトラブルをごまかすのは、立場もわかるがあまりに滑稽。代理担当もスイーツばかり食べていて悲劇的。
広場での人々と違い、彼の正体を知らない人々は当然彼をただのストレンジャーとして見、特に親切にもしない。

歌が流れてみんなで手拍子を打つシーンはちょっと好みではなかった。急にどうした。まじなのかコメディなのかという作品はイタリアものに多いような気もしてきた。成功する場合もあればどっちつかずの物もある。

一人目のカウンセラーは信仰を持たないのでやや懐疑的な目でヴァチカン内を見ているのが作品のスパイスになっている。彼も私生活や自己認識にかなり問題がありクセのある人物であり「普通の人」の代表。この作品内で彼以外はほぼ聖職者か教皇庁の人間。同じ状態の人を見ても、聖職者からすれば信仰と召命の問題であり、彼からすればメンタルヘルスの問題になる。
彼には信仰がないので聖職者らに対し必要以上に尊敬したりしない。教皇に逃げられ仕事のないカウンセラーなど蚊帳の外になりそうだが、庁内でにわかに発言権を持ち出す様子が面白い。

街に出たあたりから、どうせ人々の何気ない日常とか人生の小さな喜びに触れて勇気をもらって教皇として頑張る決意をして感動エンディングだろうと思っていたので、この終わり方にまんまとしてやられた。完全に思い込んでいたのでこの終わりは全く読めなかった。非常に悔しいが何だか騙される快感がある。痛快。
最後のシーンの撮り方が一番笑えて気に入った。思い込んでいた自分の浅はかさを認めざるをえない。
このエンディングを思いついたから作品を作ったのでは。
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