あまのかぐや

クラッシュのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

クラッシュ(2004年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ずっとHDDにはいりっぱなしのまま、なんだか敬遠していた作品でした。

登場人物が多い、筋が込み入ってそう、
ポールハギス小難しいこと言ってそう
そしてなにより・・・
見ていてさっぱり「良さ」が分からなかったらどうしよう。

などなどいろんな思惑が交錯して、どうも見ることを避けていたような気がします。
これはしっかりフルで見られるように時間を作って途中で止めることなく一気に見ないといけませんね。

CRASHって話の導入の事故のことかと思ったけど、ドアが「ばたん」と閉じる音をそう表現する、ともどこかで見た。
ドアの開け閉めで場面や登場人物が次々と変わっていくシーンも何度かあった。
淡々と進む話なんだけど、なぜだかとにかく一瞬も眼が離せない。「ながら見」なんてとんでもない。

一見オムニバスなのかと思いました。
細切れにされた舞台や登場人物が少しずつ接点をもち、ぶつかり、やがてかみ合っていく。
パズルのピースをひとつひとつ嵌めていく・・・って今ではなんだか月並みないいようですがまさにそんな感じでした。

あとで特典映像に入っていた予告編をみましたがこれじゃさっぱり伝わらないな。
昨今の邦画洋画問わずありがちな
「予告編ダメじゃん」といってるのではなく
予告作りようがない、ってこと。
とにかく見て、見た人の心に任せるしか。
当時、配給屋さん泣かせだったんじゃないかな?
ジャケ絵も「・・・これでいいのか?」って感じ。
マット・ディロンがヒーローなおまわりさんみたいに見えるよね。
重要な場面だし重要な登場人物であることは間違いないけどね。

彼をはじめ、むかつくキャラクターのオンパレードでなんて救いのない話だろうと途中でイヤになりそうだったけど・・・。

全ての登場人物、どーにも救いのない愚民でそれでもその小さい脳味噌の中に人間のもつ善も悪も詰まってて
黒人の二人組のワルも、ペルシャ人の家族も
ヒスパニックの鍵屋のお父さんと娘も、
母と弟の問題を抱えるグラハム刑事(ドン・チードル)
レイシストの巡査(これがマット・ディロン)
彼の素行や思想についていけない若い部下も
テレビディレクターというプチセレブな黒人夫婦も
医療相談窓口のアフリカ系の女性も
あと最初と最後に登場する中国人の夫妻も
すべて善悪では割り切れないいろんな顔をもっており。

そうそう白人の富裕層の判事夫妻。
ブレンダン・フレイザーとサンドラ・ブロック。
奇麗事とその内心のどろどろとかセレブ的な人道的道徳心とか
きれいごとや見栄のようなもので、この周辺一番複雑な人たちだった。
判事自身は差別思想はないものの、黒人の有権者を「票として」あからさまに意識しているあたり逆差別な感じが否めない。それを「黒人を買う」というのだな、とグラハム刑事に指摘される側近の一人(ウィリアム・フィクナー)もおおっぴらではないだけに不快な差別主義者だしヒステリックでとことんむかつく女だった判事の妻サンドラ・ブロックが
いろいろあったあとに泣きながら黒人の家政婦さんに
「あなたは親友よ」と抱きつくシーンが印象的だった。

考えてみたら東洋人は中国人の夫妻しか出てこなかったな。
中国人が見たら、この夫妻の描写どう思うんだろう
人種の坩堝LA在住の日本人みたいなキャラクターが出てきたら、また見方変わったと思う。なんちゃって日本人が出てきて
えらいがっかりなことにならなくて良かった。

「涙で字幕が!」とか「感動のラスト」とか
そういうものではない感動。
「悲しい」とか「号泣」とか
「人間として何かしなきゃ!」みたいな、
そういう後味はないんです。

これまで映画を見て感じたことのない
説明のつかない感情に激しく心を揺さぶられました。
イメージワード、どうしたらいいんだろう。

なんといったらいいか、
生々しい、というのとも違う。
映画という媒体で
これまで感じ得なかった世界観とでも言おうか。
でも近い将来、日本でも
こんな不条理が日常となるかもしれない。

2時間にもみたない作品なのに
見てる瞬間から鑑賞後まで
心をずっしり満たすこのボリューム。

忘れられない映画になりました。
あまのかぐや

あまのかぐや