RYUYA

クラッシュのRYUYAのレビュー・感想・評価

クラッシュ(2004年製作の映画)
3.5
高校生のとき、僕は原付で軽い接触事故を起こした。

この映画を観て、その時のことを何となく思い出した。

たしか、冬のクソ狭い路地裏だったっけな。
ウィンカーが壊れていたか何かのアレで、急に曲がった僕に後ろの車がポンッと背中にやさしくふれた。
相手もきっとよそ見してたと思う。

その運転手は、ちょいと若返らせたもたいまさこみたいな、とにかく人が良さそうな中年女性で「大丈夫〜?」と心配してくれたけど、お巡りさんが来た瞬間に態度が豹変。
お巡りさんの陰からこっちを睨み、「あいつが悪い」と訴えまくっていた。

いや、確かにこっちが悪いんだけども...

なんか、他人って怖いな、って思った。


『クラッシュ』は、他者との衝突により登場人物たちが‘‘思い直してゆく”、という映画だった...たぶん。
その前半部で描かれる、他者に対する彼らの鬱屈した感情。

それが、その感じが、僕があの時抱いた胸の‘‘キリキリ感”に似ていた。


この映画では「人種差別」という言葉が飛び交うけど、その正しい悪いは描き切っていない。
そこに偉大なリアリティを感じた。
実際、ラストは盛大な差別セリフで終わっていたし。

しかしまぁ、あのクレーン撮影を用いた軽い感じの終わり方は、もはや『交渉人 真下正義』みたいだったな。
つまりは、ちょっと残念。


群像劇というジャンルが大好きな自分なので、「どうゆう繋げ方をするか?」という部分に着目して観たのだが、これはかなり王道だなと。

他者と他者が、「ドアを開く」というカットで繋がっていたりするのは映画的にグッとくるが、タイムラインのサンドイッチ構造や、編集のリズムは王道中の王道。

「ある街を舞台にした、行き詰まった者たちの、直接的あるいは知らぬ間に起きている間接的な衝突」を描いているという事で、
勝手に『マグノリア』と比較しながら観ていた。
すると、段々この映画がつまらなく思えてきた。

『マグノリア』、また『ショートカッツ』が素晴らしいと思うのは、「登場人物たちの行く末をある時点から突き放した」という点にある。

この2つの映画では、終盤に‘‘ある天災”が起こる。
脚本家は、その‘‘天災”のあとの行動を人物たちの自由行動に委ねている、という部分が、群像劇としてまぁー面白い。
現象により人が動く。

しかしポール・ハギス脚本のこの登場人物たちは、ラストに向かって、おおよそ自発的に思い直してゆく。
感情の変遷を経て、人が心で動く。

その違い。あとはもう好みだとは思うが、僕は結局ポール・トーマス・アンダーソンすげぇなという感想。


加えて、映画の強度で言えば、同年オスカーを争った『ブロークバック・マウンテン』の方が好きだしな。

あと、「クラッシュ」というタイトルは素晴らしいけど、群像劇ってそもそも「クラッシュ映画」だと思うから、ゾンビ映画に「ゾンビ」ってつけてるのと同じような感じがしたなー。


とりあえず、もたいまさこ、おぼえてやがれ。
いつか再びクラッシュする日まで。
RYUYA

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