マティス

死ぬまでにしたい10のことのマティスのネタバレレビュー・内容・結末

死ぬまでにしたい10のこと(2003年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

言わないということ、自分で始末をつけるということ

 「物語る私たち」の監督をしたサラ・ポーリーが主演した「死ぬまでにしたい10のこと」をほぼ10年ぶりに観た。初めて観た時と感想が少し違う気がする。

 主人公アンは23歳。17歳の時、初キスの相手との間に子供が生まれ、結婚。今は6歳と4歳の娘の母親。その夫は求職中。自分は深夜に清掃の仕事をして生計を助けている。父親は刑務所に入っていて、ずっと会っていない。今は、実家の裏庭のトレーラーハウス暮らし。
 気難しい母と、ちょっと変わった友人、頼りないけど大好きな夫と可愛い娘たち。そんな人たちに囲まれて、とにかく17歳から必死に生きてきた。

 そんなアンが突然、癌で余命2か月と宣告される。

 もし自分だったら・・・。何を思うだろうか、何をするだろうか。そんなことを考えながら観る映画だ。

 アンが、したい、しなくちゃと思ったのは以下のこと。

 1.娘たちに毎日愛してると言う
 2.ドン(夫)に娘たちも気に入る新しい妻を見つける
  映画の字幕では、「娘たちの気に入る新しいママを見つける」になっていた。
  でも、アンがノートに書いた言葉は上の通りだった。意訳を否定はしないが、これはまずいんじゃないかな?
 3.娘たちが18歳になるまでの誕生日メッセージを残しておく
 4.家族でビーチに行く
 5.好きなだけお酒とたばこを楽しむ
 6.思っていることを話す
 7.夫以外の人と付き合ってみる
  これも字幕と実際にノートに書かれたことはちょっと違う。でもいいや。
 8.誰かを私に夢中にさせる
 9.刑務所のパパに会う
10.爪とヘアスタイルを変える

 アンの不運にも感情移入させられて、私もしばらく10のことが一つずつ叶えられていく様を息を凝らして観ていたが、途中で違うことが気になってきた。
 題名の印象が強いから、アンのすることに心が吸い寄せられるのも仕方がないことかも知れないが、この映画のメッセージは、もっと違うことのような気がする。

 「死ぬまでにしたい10のこと」を観て私が気になったのは、主人公アンが思いもよらず余命2か月と宣告された後、そのことを誰にも言わないことだ。

 愛する夫にも言わない。母にも友人にも言わない。数年ぶりに会って、もう2度と会うことのないだろう刑務所の父にも言わない。新しい恋人にも言わない。

 言わないということは、当たり前だが、相手に理解を求めないということだし、従って相手には今の自分のことがわからないということ。
 それは、相手を自分の領域に引きずり込まないことであるし、相手に寄りかからない、依存しないということだ。

 今、まわりを見渡すとどうだろう。
 「私は、なんでもオープンにします。」「秘密をつくりません。」「思いを共有します。」こんな言葉があふれている。「カミングアウト」なんて言葉ももう一般的だ。

 もちろん、社会的な弱者が問題を自分一人で抱え込まないで、気兼ねなく声をあげてSOSを言うことができ、みんなで助け合える社会は素晴らしいし、必要だ。

 でも、そういうこととは別次元の話として、ここまでは自分の領域、そこから先が他人と共有するべき領域、の線引きがあいまいになっているのではないか。一方でプライバシーの保護なんて話があって、巧みに使い分けられているような気がする。

 話を映画に戻そう。

 アンが言わなかった理由。それはアン自身が言っている。「これが私にできる唯一のプレゼントだから。」まわりの人たちの平穏を崩したくなかった、そういうことだろう。

 アンは自分の領域の中にまわりの人たちが引きずり込まれることを良しとしなかった。自分がいてもいなくても、それまでと同じようにしていて欲しかった。例え聞くことによって相手が心からしたいと思うことがあったとしても・・・。

 原題の「my life without me」はこのことを言っていると思う。自分が死んでこの世からいなくなったとしても、自分はみんなと生きた、という実感がしっかり残っている、そんな思いが込められている。邦題は、余命の過ごし方に焦点が当たり過ぎている。

 アンがまわりの人たちに言わないことが、まわりの人たちにとって良かったのかどうかは、観終わった後も、そして今もわからない。言ってくれていたら、もっと違った過ごし方があった、という者もいるだろうし、そのことは私もそう思う。しかし、アンがそう決めたことは理解できる。

 他人に関係性を求めないということは、自分で自分の始末をつけることだ。きっとそれを自立と言うんだと思う。
マティス

マティス