YukiSano

E.T. 20周年アニバーサリー特別版のYukiSanoのレビュー・感想・評価

4.5
約30年前全く乗れなかった作品。
今こそ、本当に心に響く。

フランソワ・トリュフォーに「子供のために映画を作ってみなさい」と助言されたスピルバーグが比較的低予算で作ったヒット狙いではない作品。公開したら空前の超ヒット。観客動員数で観ると全米歴代4位をキープ。フォースの覚醒もアベンジャーズも全然届かないほどのウルトラヒットを記録した。

小学校6年生の自分はインディ・ジョーンズシリーズのような冒険活劇を楽しみに公開からだいぶ遅れて見てガッカリした覚えがある。確かジュラシックパークの前年だった。そこで「なんだ、このフニャフニャした映画は、活劇ないじゃん」と思ったものである。

時を経て色んな評論や逸話を聞いて、アラフォーになろうかという時に観ると、こんなに心に染み入るものもない。スピルバーグ版トトロのようだ。

発達障害でいじめられっ子だったスティーブン少年は、ディズニーや映画の世界に没頭し、いつかピーターパンが迎えに来てくれると信じていた。両親が離婚した孤独を抱えながら青春時代を過ごし、いつしか映画監督となる。若くしてスーパーヒットを連発して調子に乗ったスピルバーグは、高予算映画1941を制作して大コケさせてしまう。そこで原点回帰として、子供の頃 夜空を見上げて冒険を夢見た気持ちを表現した作品を作る。

有名な話でETは、離婚して居なくなった父親のメタファーで、ラストは少年が離婚を受け入れ大人になることを表している。非常にセンシティブで個人的な映画だ。

面白いのは「未知との遭遇」では、家族を捨てる父親目線で、「ET」は子ども目線。地球を去るのはどちらも父親なのだが、スピルバーグの視点は移動していて観客はどちらの気持ちも味わえる。この同じ内容を対にして見せているのが面白い。

NASAや米軍も子どもの心を持った人間として描いた「未知との遭遇」。逆に彼らを官僚的で威圧的な存在として描いた「ET」。

2つの視点があって、この二つを合わせて考えるとスピルバーグという人が見えてくるし、矛盾を抱えていることがよく分かる。優しい視点なのに残酷な描写が上手すぎることや、ハードとソフトの作品を交互に撮ったりする姿勢がとても不思議である。

彼は、いじめられっ子でもあったので溜め込んだ憎悪や残虐的妄想をそうとう抱えていたのではないかと推測している。また怖がりで、部屋のドアの隙間から得たいの知れない何かが襲ってくることを恐れていたに違いない。だからトワイライトゾーンを制作したんだろう。故にETや未知との遭遇の前半はけっこう怖い。

ドアや窓のブラインドの向こう側から、やってくるのがピーターパンなのか幽霊なのか、毎回葛藤してるのがスピルバーグなのかもしれない。ドアを開けてやってけるのが恐竜の時もあって、子どもの夢と恐怖を併せ持つ存在を描いたりもする。

恐怖の対象を頭の中で生み出しているのは勿論自分なので、残虐なことを想像しているのも自分。それがナチスである「シンドラーのリスト」から、「プライベート・ライアン」で殺し合いの泥沼を描いて、ついに加害者を描く「ミュンヘン」になる。

また父親に捨てられる話ばかり描いていたのに、「最後の聖戦」で仲直りを描いてからは「ジュラシックパーク」で父親になることを受け入れる。そして「マイノリティ・リポート」「宇宙戦争」では父親として、どう生きるのか模索する主人公が描かれている。

自分の中にある「暴力性」と「父性」が同時に目覚めているようにも見えるのが興味深くて、フィルモグラフィーを眺めていると色々と勘繰りたくなる。

二十代の若者期に「激突」「ジョーズ」で衝動的な残酷スリラーを撮って、三十代で「ET」「インディ」シリーズという子ども映画、四十代からは「カラーパープル」「シンドラーのリスト」などの大人向け歴史物を撮りつつ「ジュラシックパーク」で父親になります宣言をしている。

キャメロンの「タイタニック」に世界王座を奪われてからの五十代からは、父親として社会に対するメッセージを感じさせる暴力映画「ミュンヘン」や「宇宙戦争」。

六十代では、ついに自己模倣映画「タンタンの冒険」や、その生き様と死に様を後生に示した「リンカーン」を発表。ついに彼の心が折り返し地点たる老年期に至ったことが分かる。

そして70代となった今「レディ・プレイヤー1」を自分の偉業を全部取っ払った状態で製作した。自分が居なかった場合のポップカルチャーを想像してのことだろうか?自分という人間がアートもカルチャーも全てに影響を与えた神のような存在になってしまった重責を彼はどう感じているのか。

もはや、その先に何が待ち受けているのか。恐らくいつかは観れなくなってしまう彼のフィルモグラフィーのラストスパートを見届けたい。
YukiSano

YukiSano