2004年に制作され奇しくも、同年封切り前に永逝したレイ・チャールズの伝記映画である。ミュージシャンの伝記物では以下の如く名作が多い。
「ベニー・グッドマン物語」
「グレン・ミラー物語」
「ティナ」
「アマデウス」
「ジャージー・ボーイズ」
そして異色だが
「愛と哀しみのボレロ」
もその一角に入るのかもしれない。
レイはこの映画の完成を待たずに逝ったが、15年に渡って制作に関わってきた。中でも最大の条件はありのままに闇の部分まで描くことであったという。
そこには黒人差別の洗礼からドラッグに堕ちて行く経緯やジャンキー生活、中毒症状の地獄と治療・復活、女へのだらしの無さ、金に執着するビジネス魂も盛り込まれていて凄まじい、表には出なかった生活振りが描かれている。
が、一つ彼の人生に通底しているものがあるとすれば、愛を欲し、愛を発したかったことなんだろうと思う。ここにこの映画が輝いている所以があるように思う。
プロローグの「What'd I say」が始まると、MTVを見ているような感覚のかっこいいカットが続く。鍵盤を弾く手元が実はレイのサングラスの反射を映していたカットであった。画像はレトロ感を出す為にブリーチ・バイパスがなされているようだ。
そして彼の幼少期が始まる。貧困な母子家庭で育ち、弟を熱湯の入った洗濯用大ダライに落ちる事故で亡くすが、将来そのことのトラウマが彼を責め立てることになる。
そして7才の時、緑内障により盲目となり、このことが彼の耳を鋭敏にさせたことは間違いない。
この少年期、近所の雑貨屋の隅で爺さんが弾いてたオンボロピアノに常日頃彼は魅せられていた。
ここで教わる音符もなしのブルース、ブギ・ウギ、ストライド・ピアノは後にソウルの帝王の異名を持つことになるレイのバック・グラウンドになっていく。
爺さんが教える。
「いいか!まず3つの音を覚えるんだ」と言って3度、5度のダイアトニックコードを覚えさせ、後はリズミックに鍵盤を叩かせる。楽譜は読めなくていい。R&B、ロックはこれでヒット曲が作れるのである。
ある素晴らしい楽譜初見バリバリでセンスのいい先輩が楽譜至上主義者に対しこう言った。
「君はお風呂で鼻歌を口ずさ
む時に楽譜を用意するの
か?」
これは音楽の本質を突いている。最も大事な事はそれを楽しもうとするセンスだ。クラッシック畑の方々からお叱りを受けるやも知れぬが、あながち間違ってはいないように思う。
Jazzなどは音符も読めない、楽器もままならぬ世界から発露し、その中から今やスタンダードとなっている名曲がいくつもある。
話しが横道に逸れたが、レイを演じているジェイミー・フォックスの所作はレイそのものであり、元々ヤノピは弾けるとは言うもののここまで瓜二つにする努力は驚嘆に値する。アカデミー賞主演男優賞に輝くのも然もありなんである。
そして彼の放って来た数あるヒット曲がどうやって生まれたかの経緯なども盛り込まれ、レイファンには垂涎物だし、ファンでなくても充分楽しめる創りになっている。
本作は単なる音楽映画の枠を超え、ヒューマンドラマとして充分成り立つ深みを持った一編であると思う。