南森まち

ミスティック・リバーの南森まちのレビュー・感想・評価

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
4.1
ジミー・ショーン・デイブの幼なじみ三人組が路上で遊んでいたところ、デイブのみが二人の目の前で誘拐され四日間の監禁・暴行を受けてしまった。デイブの命は助かり、犯人は処刑されたがこれをきっかけに三人は疎遠になってしまった。
それから数十年後、ジミーの娘が惨殺される。ショーンはその担当刑事に、デイブは事件の容疑者になる。過去の誘拐事件とこの殺害は関係があるのだろうか。疎遠になっていた三人は事件を通してまた対話することになる…というお話。

ミステリ要素と薄暗い雰囲気がマッチして作品を盛り上げる。
また、映画の最終盤に、犯人を追い詰めるパートと、過去の事件との関わりが明らかになるパートが相互に差し込まれる演出はお見事。
最後のジミーとショーンの会話「俺たちはずっと夢を見ているんじゃないかと思うことがある(以下略)」も含蓄があってとても良い。

見ている間は楽しい。しかし全体を振り返ってみるとストーリーのつくりが弱く、さまざまな問題をはらんでいる作品になってしまっている。
これらの問題は、おそらく原作小説から映画にする際の監督のエピソードの取捨選択によって引き起こされているのだろう、残念。

この作品には構造上大きく5つの問題点がある。

最大の問題は、「序盤の誘拐事件」が本筋とうまくかみ合っていないようにみえることだ。
被害者のデイブは「他の二人のどちらかが被害者であれば、俺は違う人生を歩めた」と思っているが、残りの二人はそれほど気にも留めていない。
デイブの気持ちを伝えられた時も、娘に死なれてそれどころではないジミーには響いていないし、主人公のショーンに至ってはまったく気にしていない。これでは誘拐事件に2人を立ち会わせた意味がない。
犯人のミスディレクションのためだけに使うのであれば、貧乏で退学したとか、イジメに会っていた、等でも代用できる話なのに、むやみに凄惨な事件にしただけにみえてしまった。

--------ネタバレを含む問題点-----------

二つ目は、犯人が添え物のようなキャラだということだ。これでは行きずりの犯罪者に殺されたのと何ら変わらない。序盤から登場するのでアンフェアとまでは言わないが、何度も無意味に出てくるため、ある程度のミステリ好きには察しがついてしまう。

三つめは、「悪の遺伝子」を実証する内容になっていることだ。作中に「リンゴの木にはリンゴしかならない」という偏見が出てくるが、結果としてこれがズバリ当たっていた。実際に犯罪者の子孫に犯罪者が多いという統計もあるらしいが、優生思想や偏見助長につながるため、このあたりは人権を配慮して慎重に扱うべきではなかったか。

そのほかにも、登場人物が振り回される「ある人物の不自然な嘘」も問題。警察に散々疑われて私刑されそうになっているのに、こんな大事なことを隠していた理由は何なのか。
まに、妻が夫を信じられず、明らかに一番伝えてはいけなさそうな人に伝えるのも不自然。

ただ「時々思うんだ、実はこれは夢で、俺たちは全員まだ11歳で地下室の中にいるんじゃないか」という含蓄あるセリフが素晴らしく、とても満足感の高い作品であった。