タイトル『わが青春に悔なし』なんて聞くと、どれほど輝かしい青春時代を描いた作品かと思いますが、実態は真逆、この『わが青春に悔なし』は、第二次世界大戦中の銃後の若者の青春を描く。そしてその青春は、全体主義・ファシズムと闘った意志強き若者たちの青春であり、彼らが犠牲にした青春のおかげで今を平穏に生きている我々にとって波乱万丈、残酷な地獄のようなものでありました。
今作『わが青春に悔なし』は、思想弾圧事件「滝川事件」とスパイ事件である「ゾルゲ事件」、この二つの実際の事件をベースに、自由主義者の八木原が教授を務める京都帝大学の学生・主人公の幸枝(原節子)、野毛そして糸川、3人の若者の青春を描いていきます。幸枝は戦中の時代に反発するように「自分」を求める強い女性であり、幸枝が心惹かれる野毛は過激・行動派のインテリとして、また一方で幸枝に心を寄せる糸川は穏健・慎重派のインテリとして、主人公・幸枝を中心とした野毛と糸川2人の対比を当時の知識人を象徴させて人物ドラマを語ります。
尤も冒頭最高のシーンは、その三人が山にピクニックをして、野に横たわり「なんだかいいなぁ」と何とも静かなシーン。黒澤明監督自身、「戦中は穏やかな青春を描くことが許されなかった」という、当時の抑圧的な製作状況に反発するように抜群にこのシーンは素晴らしい。
しかし、この平穏な青春の一瞬は銃撃音という戦争の足音にかき消され、物語は思想弾圧との闘い、戦争へと向かっていきます。
戦中、「滅私奉公」の美しさを描いた『一番美しく』を撮った黒澤監督は一変して、戦後、戦中の全体主義と闘う若者を描いた『わが青春に悔なし』を撮りました。今作について黒澤監督は「初めて言いたいことが言えた映画」と語っていますが、強い脚本修正の要請の最中、物語を歪にしながらも主人公・幸枝が田舎に行ってからのラスト30分に全てを賭けます。
まるで木が、草が、風が幸枝に「スパイ」と囁くように、幸枝に対峙する世界・世間。この世間に対峙する市井の一般市民という構図は後の『生きる』であり、村社会の怖さを描いたとすると『七人の侍』の百姓たちの描写を想起します。
美しいクライマックス。野毛の「顧みて悔いのない生活」という言葉を反芻しながら確固たる意志を貫き、田を耕す幸枝に風が吹くラスト、これこそ黒澤監督が今作に賭けた思いが詰まった最高のラストであります。物語は、幸枝が強き意志をもって確固たる「自分」を得る執着し、そこには自我を持つことを許された戦後の女性像としての幸枝が誕生しました。
戦後間もなく強く美しい女性を描き、なおかつ自由を弾圧した戦中の反省を込めた今作『わが青春に悔なし』、そして黒澤監督は次作として戦中を振り返るのではなく戦後の未来を見据える『素晴らしき日曜日』を撮り、今作を転機として監督の視線は未来の方向を向くのです。