(曲がりくねった道を通れないリムジンのように)なにをやってもうまく行かなかったり、(儀礼と愛想にみちたパーティのように)無意味にしか思えない社会のシステムになじめなかったりする人々の目には、この世界は邪悪で無意味なものと見えている。
(和音が決して解決せずさまよい続けるヴァーグナーの『トリスタンのイゾルデ』の音楽のように)終わろうとしても終われない世界を生きる者がむかえる終末の時を、美しい映像でえがく傑作。
そこにあるのは言語という象徴的な論理をこばむ/こえる圧倒的なものであり、論理を嘲笑うものである。