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ベイビー・オブ・マコンのtakのレビュー・感想・評価

ベイビー・オブ・マコン(1993年製作の映画)
3.5
ピーター・グリーナウェイ監督作を立て続けに観ていたのは、社会人になってしばらくの間。「コックと泥棒、その妻と愛人」に圧倒されて、ジャン・ポール・ゴルチェが担当した衣装の展示会も観に行った。旧作もあれこれ観た。まだ観ていない「ベイビー・オブ・マコン」に挑んだ。観るのに覚悟がいる、と聞いていたのでとほんとに挑む気持ちで。

醜い老婆から生まれた美しい赤ちゃん。これは奇跡だと周囲が騒いだことから、老婆の娘は自分が処女懐胎した母親だと偽る。その赤子の容姿や一家がついた嘘から、赤子は庶民の信仰の対象となっていく。面白くないのはそれまで信仰と寄進を集めていた教会関係者。司祭の息子は赤ちゃんの母と名乗る娘に近づいて嘘を暴こうとする。

…という舞台劇を観ている現場を演じている舞台劇を撮った映画、という多重構造。三幕構成の物語で、鑑賞する貴族達が着用する衣装も赤→白→黒と変わっていく凝りよう。また一つずつ着衣を増やしながら赤子が祭り上げられていく様子は、反復される台詞が添えられる。その韻を踏んだような反復が単調なようで変なリズムを生む。この変化を伴った台詞の反復は随所に見られ、飽きるどころか催眠術のように映画の深みに誘っていく。そして映画のクライマックスでは、赤子の着衣が一つ一つ減っていく呼応が見られ、これ以上ない悲劇的な結末に僕らは戦慄することになる。

グリーナウェイ監督作はこれまでもグロテスクな描写はたくさんあった。しかし、「ベイビー・オブ・マコン」でのエログロ絵巻は、芸術と呼べるギリギリの線を保ちながら、鑑賞する僕らの精神に訴えてくる。目の前で展開される流血や死。それよりももっと醜くて正視できないのは、この映画で描かれる人間の欲望が残酷なまでの醜いさま。児童虐待の物語でもあるし、金儲けのためなら手段を選ばない底知れない欲望の物語。それは赤子を祭り上げた一家だけでなく、教会も同じ。そして不都合なことの為なら残酷な裁きさえも迷わない人間の冷酷さ。

僕らの視線を手繰り寄せるような長回しのカメラワークや芸術的な陶酔感で、観ている僕らを酔わせつつ、そこで見せつけられるのは醜悪で血塗られた物語。映画芸術の絢爛たる美しさで彩られた、残酷な物語。好きかと問われたら「嫌い」と答えるけど、こんな力作はグリーナウェイ以外の誰にも撮れない。赤子が身につけたガラスの首飾りのように「価値なし」とはとても言えない。でも観終わった後は、不快感と嫌悪感と、良質な舞台劇を観た後の満足感が入り混じる、不思議な気持ちになる。但し、人によってはトラウマ級の衝撃だと思われるので要注意です。

ジュリア・オーモンドって、不評だった「麗しのサブリナ」のリメイクくらいでしか名前を知らない女優だったけど、鬼気迫る熱演。若きレイフ・ファインズも、「胸騒ぎのシチリア」同様に全てを隠さない大熱演。
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