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質屋のmasatのレビュー・感想・評価

質屋(1964年製作の映画)
3.5
冴えるボリス・カウフマンの画、
ガッシリとしたロッド・スタイガーの肩、
押し捲るクインシー・ジョーンズの音、
映画的な要素を目の前に、テンション上がる筈なのに、
なんでこんな陰気なのだろうか?

アウシュヴィッツの呪いが、25年経った今、現代ニューヨークで炸裂する。
その生き残りは、質屋。貧困で喘ぐ移民たち、下層民の生き血を吸うシャイロックだ。

ルメットのイメージは、流石、凄まじい。
汚く殺伐としたニューヨークに生きる人間たちの顔、この街にオカシクさせられた様な質屋を訪れる異様な客の顔、地下鉄に乗る人々の異常な顔が、まるで強制収容所で“壊された”“犯された”ユダヤ人の顔とオーバーラップ、いや、彼らと同じになった時、全ての人間は、永遠に喘ぎ、苦しむのであると言う事を目の前に炙り出してしまう。
安らぎもしあわせも訪れない・・・
もしかしたら、これこそルメットが暴いた真実なのではないか、いや、事実かもしれない。
“地獄は実在する”、あなたの立っている場所なのだ、と。

サブリミナルなフラッシュバックが、過剰で素晴らしい。
地下鉄が、ついに過去と繋がってしまう恐怖感も強烈だった。

そして本作は、初めてのアメリカ商業映画での“ホロコースト”モノであり、同じく初めて“ビーチク”を出した映画なのだそうだ。
そんな初出しを晒すのは、なんと黒人。ギラギラ黒光りする黒人女のビーチクさえも異様に映った(アウシュヴィッツで主人公の妻が晒す貧弱な肉体とヤケに大きい乳首との対比も、異様な臭い)。

有刺鉄線に削がれる肉、ユダヤ男たちの目の前で慰安させられるユダヤ女、鮨詰めの地獄行き夜行列車で次々と死んでいく子供、赤ん坊・・・
トラウマ必至の(あまりにも豊かな)イメージに、戦争はまるで映画的イメージの宝庫であるかの様な、そんな錯覚をしてしまう様な、“豊潤な悪夢”を画面上に創り出してしまうルメット。
これぞルメットを観る愉しさだ。
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