垂直落下式サミング

戦火の馬の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

戦火の馬(2011年製作の映画)
4.5
第一次世界大戦は、毒ガス、有刺鉄線、機関銃と、非人道的な近代兵器が本格的に実践使用された、人類の歴史上初の国と国との総力戦だった。
敵陣に向かって塹壕を1ヶ月に1メートルとも言われるペースで掘り進めて、鉄条網の柵を除去しようと出ていったものが敵の弾丸を浴び、時折ガス弾を投げ込まれて一個師団が全滅し、更には衛生状態の悪化による疫病の蔓延によって、毎日誰かしらがバタバタと当たり前のように死んでいく。我々がイメージする近代戦争行為におけるフロントラインの地獄は、この時期の無茶がきっかけで形作られることになる。
かつて戦争は、先頭をつとめて身を危険にさらすのは主に一部の貴族や野心家の役目で、一般国民にとってはあまり関係のないはなしだった。隊に加わって数ヶ月訓練して戦地に行ったら、そろそろどっちかが降伏するころで、自国が勝ったのなら帰ったとき勲章なんぞもらえるかもしれない。これが平民にとっての戦争だったのである。それまでは、何年ものあいだ戦闘状態が続くなんてことは、あり得なかった。だが産業革命によって、戦争はいくらでも続けられるようになった。これがそもそもの間違いだったのかもしれない。
本作は、人が主役の戦争映画とは違って、戦時に徴用され、指揮されたままに軍事に加担しなければならない立場の馬の目で語ってゆく作品であり、一頭の馬の視点から戦争が機械化されていく過程が実によく描かれている。
連続して銃弾を撃ち出す機関銃と、自陣と敵陣を分断する鉄条網の登場に伴い、平地を掘り進める塹壕戦が主流になったことで、かつて戦地において最高の機動力だった騎馬は無力化されたのだというのをまず見せておいて、オートバイ、自動車、戦車と、これまで馬が担っていた役目にとってかわる乗り物を段階的に登場させていく。
終盤、馬が鉄条網に絡めとられのたうつ様子はみていられない悲壮さだ。これを救おうと敵対するもの同士が一時協力し合うことで、この地獄のようななかにあっても人は人らしい行動をすることができるのだから、本来はこんなふうに争うことそれ事態が不毛なはずだと、白い霧が晴れたその先にあるべき希望をみせる。
物語をより感動的にさせるのは、馬のジョーイの役者力。演出の力もあって、泣いているようだったたり、怒っているようだったりと、無垢な瞳から様々なニュアンスを読み取れた。
知り合いのギャンブル狂が「勝ち馬は目が違う」と寝言をほざいていてたのを覚えているが、なるほど確かに表情豊かな動物である。