桃色

神の道化師、フランチェスコの桃色のレビュー・感想・評価

4.2
アメリカ西海岸のサンフランシスコの名前のもとになった聖人、アッシジの聖サンフランシスコの行った所業の短編集のような映画です。

もう30年近く前に1回観たきりで内容もあんまり覚えてないんですけれど、とにかくなんだか心が温かくなる素敵な映画だったことだけは忘れられません。

私のここFilmarksのベスト1に「ブラザー・サン シスター・ムーン」という同じ聖フランチェスコを扱った映画があります。
大好きな映画でアッシジに訪れたいと思うきっかけになった思い出の詰まった映画なんです。
今日は心のリハビリのためにこの映画を思い出して もう捨ててしまおうと思ってたこの「桃色」というIDでレビューを書いてみようと思いました。

そんなきっかけになったのはNHK Eテレで放送された「こころの時代〜宗教・人生〜 それでも生きる〜旧約聖書・コヘレトの言葉(5)」の再放送を今日の昼に観たから。

神学者の小友聡先生と随筆家の若松英輔さんとの対話を中心に「コヘレトの言葉」を新約聖書の「ヨハネの黙示録」や私も大好きな「ゲド戦記」参考にしたり対比させながら読み解いてくれるんですけどね。
これでなんだか灰色の嫌なモヤモヤを それはそれとして自分も過ごすしかないんだという気がして逃げないことを気がつかせてくれました。

「たとえ千年を2度生きても人は幸せを見ない
すべての者は
一つの場所に行くのだから」ーコヘレトの言葉

「ひとつの行為が次の行為を生み
それがまたつぎを生む
そうなるとわしらはごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる
ひとつの行動と次の行動の隙間のようなするということをやめてただあるという
それだけでいられる時間
あるいは 自分とは結局のところ
何者なのだろうかと考える時間をね」ーゲド戦記より

2人の解説者の先生方は人の生き方には2通りあって
するということは doing
あるということは being
ひとは生きるためにはbeingであるべきだという話をしてらっしゃいました。
哲学的すぎてこの番組を見てない方には伝わらないと思うけれど、私にここFilmarksで繰り返し起こる事象を私に起因させずに相手のdoingとして切り離して考えればいいように思ったんです。

なぜ心のリハビリは必要だったかについてはこのあとコメント欄にネタバレで書いておきます(効果があったら削除しますね)

---
コメントに返信もせず放ったらかしで本当にごめんなさい。
色々な企画も途中頓挫させてしまって… 
打たれ弱いってこと本当に自覚してます。

ゆっくり心のリハビリしながら前の「マイティー・ソー」のコメントにも返信をつけていきたいと思ってます。
桃色

桃色