鋼鉄隊長

独立愚連隊の鋼鉄隊長のレビュー・感想・評価

独立愚連隊(1959年製作の映画)
4.5
購入したDVDで鑑賞。

【あらすじ】
太平洋戦争末期。中国戦線の真っただ中に従軍記者荒木が現れた。彼は戦闘中に心中したとされる見習士官に興味を抱き、独立第九○少哨「独立愚連隊」を目指す…。

 「西部劇」とは、19世紀におけるアメリカ西部の未開拓地域を舞台にした映画のことを指すが、岡本喜八はそうは見ていなかった。「西部」が舞台ならどこでも良い。なら日本の西部はどこか。中国である。しかも西部劇における「開拓者精神(フロンティアスピリット)」を「大東亜共栄圏構想」に結び付けてしまった。この発想はあまりにもぶっ飛んでいる。
 そのためこの映画は戦争映画と言うよりも西部劇映画が相応しい。西部劇らしさを最も良く表しているのは、主人公の荒木を演じる佐藤允だ。白い歯が輝く笑顔。額の前で片手をひょいと挙げる敬礼崩れの挨拶。一挙手一投足がいちいちキザで日本人離れしている。馬にまたがり颯爽と荒野を駆ける冒頭の様子どころか、腰を落として銃を構えるポスターの姿すらカウボーイのようだ。彼の存在が映画の中に西部劇の風を吹かせている。
 そしてもう一人、重要な人物が存在する。それは三船敏郎である。三船は大隊長役で「ちょっとだけ」出演している。彼の役柄は映画をより一層西部劇たらしめている。三船演じる児玉大尉は、怪我により幻覚を見るようになった狂人。「敵が来た」とヒステリックに騒ぎながら部下(と思っている人)に向かって怒鳴り散らす。この様子は正に典型的な日本軍人であり、それを演じているのは「サムライ・軍人」の印象があるTHE日本人の三船敏郎。つまり彼は従来の日本戦争映画(重苦しい非エンターテイメントの戦争映画)を表象したキャラクターなのだ。だからこそ彼は中盤にて退場することとなる。ビシッと敬礼をして「武運長久を祈ります」との言葉を残し戦線を去る後ろ姿には、映画から硬く湿った戦争が消え去ったように感じる。
 風に流れてエンターテイメントを連れてきた佐藤と、戦争を背負った三船の離脱。両者の活躍により戦争映画は西部劇映画に変化した。戦後の空気感が残る50年代に、こんな映画を撮ってしまった岡本喜八は本当にぶっ飛んでいる。
鋼鉄隊長

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