猫とフェレットと暮らす人

シャーロック・ホームズの猫とフェレットと暮らす人のネタバレレビュー・内容・結末

シャーロック・ホームズ(2009年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「シャーロキアン(シャーロック・ホームズの熱狂的なファン)」にもご納得いただけるように原作をリスペクトして、なおかつ、アクションをマシマシにしてみんなが楽しめるエンターテインメントにしておきましたけど、いかがですか映画。

最初のシーンから1890年代のロンドンの街並みをしっかり丁寧に見せてくれてその世界に飛び込む事ができる素晴らしい映像から始まりました。

シャーロック・ホームズの敵を倒すのも、頭脳派という、まずは、相手の片耳が悪い所を鋭く素早い観察力から分析し、頭の中で一旦シミュレーションしてから、それを実行する。この表現だけで、シャーロック・ホームズが頭脳派であり、なおかつ、武闘派でもあるという演出。素晴らしい。

そのほかにも、イニシャルから推測して質屋を当てるなど、シャーロック・ホームズのキャラクターを描くのに色々なエピソードがさり気なく差し込まれているのが素晴らしい。

そして、ワトソンも昔は軍人で医者で武闘派として戦ってても強いとか、なおかつ、ギャンブル好きとか、エピソードもてんこ盛り。

シャーロック・ホームズとワトソンのやり取りも豊富だし、今回は、ワトソンが婚約中の彼女をシャーロック・ホームズに紹介するのに、なんか、やきもち焼かれてるしw。

ビックベン(イギリスの国会議事堂)や作りかけのロンドン橋でのアクションなど、エンターテインメントとしてとっても楽しめました。

しかしながら、少し中途半端感があるんですよね。原作リスペクトも感じるし、映像もセットなどの美術品や衣装も完璧だと感じさせるほど手が込んでるし、でも、なんか、乗り切れないという。自分でもこの感じが何なのかとても考えました。

そこで、自分なりに考えたのですが、
やはり、シャーロック・ホームズって人を描くにはこの人を正しく表現するために必要な情報が多すぎるんですよね。世界一有名な探偵ですから、キャラクターの要素がてんこ盛りなんです。それを映画で描くためにさり気なく色んな要素、例えば、推理の邪魔になるから恋愛を避けていたのに唯一思いを寄せていたアイリーン・アドラーが重要人物で登場とか。

情報過多ですね。映画にするには省いても良さそうなところを、あえて入れてくるので、観てる私は情報でお腹いっぱいになってました。

あと、なかなか登場人物に感情移入できなかったんですよね。
シャーロック・ホームズは変人なので、それは感情移入しなくていいですが、代わりにワトソンに感情移入できるかっていうと、今回はアクションもメインコンテンツなのでワトソンも強いんですよね。
シャーロック・ホームズもワトソンも強いんです。どっちも同じベクトルなので、観てる側が置いてけぼりなんですよね。

シャーロック・ホームズがボケなので、ワトソンはツッコミのはずなんですが、この映画ではコメディ要素がうまく機能してないんですよ。キャラかぶりしておりました。

なので、面白いけど、おしいところがあって、少し乗り切れないのが勿体ない。
キャラクターも良し、脚本も良し、映像も良し、でしたが、もう一歩って感じでした。

ちなみに、私はシャーロキアンでも何でもなく、原作さえ読んでない状態で映画を観ました。
でも、この腑に落ちない勿体ない感じの原因を知りたくて、映画を観た後、原作を確認しました。

感情移入できなかったのは、原作は、ワトソンがシャーロック・ホームズっていう変な探偵の友人がいてて、その話が面白いので、伝記として書き記しますっていうスタイルで書かれているんです。

原作では、「私」っていうのはワトソンで、ワトソン目線で物語が進んでいくんですよね。そりゃ「私」って書かれたらそりゃ強制的に感情移入させられますよね。っていう原作の構成が素晴らしいというかズルいというか。ツッコミはワトソンであり読む側って出来てるんですよね。それを映画でそのままってのは無理なので。だって、映像で二人とも出演しないといけないですから。

原作を読んでいればちゃんと楽しめる様に作られてたと思いますし、リスペクトは十分に感じたのでそれは良かったです。
この映画のおかげで原作に触れることが出来たので、映画ってほんと素晴らしいです。

続編もあり、そこで上手い演出になっているのか?ってのが気になるでしょうが、実は続編は、めっちゃ良くなってます。
観たら楽しめますよ。続編の詳しいレビューは、そちらの方「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」に記載します。

では、また、続編のレビューでお会いしましょう。