まぁや

ペット・セメタリーのまぁやのレビュー・感想・評価

ペット・セメタリー(1989年製作の映画)
3.0
スティーブン・キング原作
医者のルイスは妻と子供二人を連れて自然豊な田舎町に引っ越してきた。けれど、家の前には大型トラックが昼夜問わずものすごいスピードをあげて行き交い、子供やペットの安全性について一抹の不安を感じる。

本作品はホラーを娯楽として楽しみながら、人間の傲慢さについて、原作者のスティーブン・キングや、監督からメッセージを投げ掛けられているように感じる。

自然を愛しながら、利便性を追求してやまない人間。主人公たちの住む環境はその矛盾を実に良く表現している。
流通を良くするために森を切り開いてバイパスを作ったのだと思うが、その行為が逆に人々の暮らしを危険にさらしている。

やがて恐れていたことが起き、娘エリーの愛猫がトラックに跳ねられ死んでしまった。

エリーがひどく悲しむことを考え落胆するルイスの様子を見て、向かいに住む高齢の男ジャドは土地の秘密にルイスを巻き込む。
それは、先住民が残した遺構に死者を埋めると、復活を果たすというものだった。

だけど、もとの状態で死者が甦る訳ではなく、狂暴で悪意を持つものとして甦ってくる。。

そのことを熟知していながら、なぜジャドはルイスを巻き込んだのだろう。わたしは善意よりむしろ悪意を感じる。

ルイスたちが購入した家は長らく空き家だったとジャドは語ったが、もしかして、以前の住人たちも同じ事態に巻き込まれたのじゃないだろうか。(そんな設定を深読みしてしまう)

死者の復活について核心を得たルイスは、息子の時も同じ方法を試みる。
復活したゲイジは、ジャドが予告した通り邪悪で凶悪な殺人鬼になっていた。(まだ2才くらいなのに。。)
ゲイジは、ジャドと母レイチェルを殺害。

悲惨な殺害現場を見て、安楽死用の注射でふたたびゲイジを亡き者にする父親ルイス。死ぬ前にゲイジが言った言葉。「パパ、ずるいよ」ほんと、その通りだと思う。
どのような形で生き返るか知っていながら甦らせて、無理だから殺すなんて、、ある意味親のエゴじゃないかな。

ここでもう一つのエピソードについて。それはレイチェルの姉のこと。生まれつき重い脊髄の病気を持っていた姉は家族全員から疎まれ、薄暗い奥の部屋に隠されていた。
病に苦しんで、姿形がどんどん醜くなっていく姉を誰も愛することなく、
排除された状態で死んでしまうのだけど、そのエピソードのほうが、私にとっては何倍もホラー度が高かった。
自分の子供を怪物を見るような目でみるなんて、、悲しすぎる。

一つひとつの選択の過ちが、いつしか大きな災厄を家族にもたらしてしまった。
小さな子供たちが巻き込まれてしまうので、見ていてしんどいのだけど、オレンジ短パンのゴーストの存在が微笑ましく、ちょっぴり気分をなごませてくれた。
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