Jeffrey

ディーバのJeffreyのレビュー・感想・評価

ディーバ(1981年製作の映画)
5.0
「ディーバ」

〜最初に一言、ニュー・フレンチ・シネマ誕生の最高傑作であり、後のレオス・カラックス、リュック・ベッソンらと共に"恐るべき子供たち"の1人として名を馳せたベネックスのデビュー作にして頂点映画である。三谷みどりが松井監督映画「追悼のざわめき」になりたい…と言うなら、私は「ディーバ」になりたいと言おう〜


冒頭、ここは迷路の様なパリ。街並みの輝、オペラ座でアリアを歌うソプラノ歌手の黒人女性。郵便配達員の青年、楽屋、ドレス、原付、パズル、台湾系ヤクザ、テープ、刑事、ベトナムの少女、録音。今、2人は親密に、美しく…本作はジャン=ジャック・ベネックスが、1981年にフランスで監督したデビュー作にして彼のフィルモグラフィー史上最高傑作と自負する名画である。この度、YouTubeににて紹介するためにBDで再鑑賞したが大傑作である。最早、私は"ディーバ"になりたいと言いたくなるほどの大ファンだ。本作はヌーヴェルヴァーグも慄くいわばエポックメーキングである。

本作の主演を演じた青年、フレデリック・アンドレと言う若手役者は本作でしか見たことないのだが、一発屋だったのだろうか?非常に素晴らしい芝居をしていたと思うのだが。ハンサムだったし。そして神秘的な美貌の黒人オペラ歌手シンシア・ホーキンスの役には実際のオペラ歌手であるウィルヘルメニア・ウィンギンス・フェルナンデスが起用されているのだが、圧倒的な存在感だった。そしてジグソーパズル付きの謎めいた男にリシャール・ボーランジュが起用され、これを機会に彼は国際的に名を知られることとなり、フランスを代表する俳優の1人になったと言われている。そしてコケティッシュなベトナム女性アルバにチュイ・アン・リーが抜擢されているのだが、すごく印象的な容姿で魅力的だった。ちなみに監督のスタッフが偶然パリのディスコで見かけてスカウトしたまったくの素人だそうだ。脇役は大ベテランが集まっていてすごく安心感がある映画だ。

この映画すごい面を持っていて、どうやら伝説的に語られているようなのだが、興行側の都合によってパリでの封切りが予定より2週間早まったらしく、当初は不発だったようで、上映から三日間で取りやめてしまう映画館もあったそうだったのだが、口コミで評判が広がり、結局セザール賞4部門受賞して、最終的にフランスでの上映は3年以上、135週と言う記録的なロングランを記録したそうだ(笑ってしまう数字)。そしてアメリカでは、81年秋、第17回シカゴ国際映画祭で上映されたのを皮切りに、ロサンゼルスで82年4月16日、ニューヨークで82年4月16日に、それぞれ公開され、外国映画をほぼ見ない米国人の間で、アート系の映画館で異例のヒットを記録して2年以上のロングヒットを飛ばしたそうだ。これもかなりの驚きだ。辛口批評で知られる映画評論家のポーリン・ケイルも映画欄を担当するニューヨーカーで、この映画は光輝く映画おもちゃと絶賛したそうだ。

そして81年のシカゴ映画祭ではベネックス監督が新人賞を受賞することになる。そしてフランス公開から日本公開の話をしたいのだが、日本では、81年12月13日から17日にユニフランス・フィルム主催で開催された映画祭"新しいフランス映画を観るフェスティバル"において、「私のディーバ」と言うタイトルで初めて紹介されたそうだ。その後、フランス映画社の配給で、83年11月23日からロードショー上映され、若い映画ファンを中心に熱狂的な支持を得たみたいだ。その後も、94年に昔の配給でニュープリントのディーバ ジ・アルティミットがリバイバル公開され、東京での上映館は今は亡きシネマライズ渋谷だったみたいだが、2012年には、第3回午前10時の映画祭で上映されるなど、今もカルト的人気のある作品なのは周知の通りだろう。

現在では、停滞した70年代以降のフランス映画界に、80年代を迎えて新しく登場したニュー・フレンチ・シネマまたはネオ・ヌーベル・バーグの作家の登場を告げる作品の1本として、ベネックス自身の「ベティ・ブルー愛と劇場の日々」リュック・ベッソン監督「グラン・ブルー」レオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」らと並び称されているようだ。本作は原作があるらしく、フランスの仮面作家でデラコルタが著した、全6作からニュータイプのセリ・ノワールの連作シリーズ第2作の映画化であるようで、簡潔な題名の小説で、6冊とも謎めいた風変わりな中年男と同居する金髪のロングヘアの美しい13歳の少女が狂言回しである事は共通しているみたいだ。そんで、そのペンネームが秘密にされていたようなのだが、小説が話題になると正体がわかってきたそうだ。スイス出身の小説家、脚本家、音楽評論家、神秘主義者のダニエル・オディエのペンネームであることが判明した。デラコルタの正体が判明したときのマスコミの驚き様は、すごかったようで、娯楽作品とでは、まるで性格が異なるものであったからが理由だったそうだ。


さて、物語はパリの郵便配達人としてモビレッタ(原動付自転車)に乗ってパリの街を走りまわるジュールは18歳の青年。彼を夢中にさせているのは、美しく溢れるような魅力に包まれた黒人オペラ歌手ディーバこと、シンシア・ホーキンスである。彼女は自分の歌声を決して録音させることを許さず、彼女の声はコンサートでしか聞く事ができないものだった。パリ、オペラ座でのコンサート。カタラーニのワリーのアリアを歌うシンシア。客席で熱心に彼女の声を聞きいるジュールは、その声をテープに盗み録り、さらに彼女の楽屋を訪れ、シンシアが来ていた白いローブを盗んだ。彼の心はディーバへの憧れと彼女の舞台の愛情に満ちていたのだ。ある朝、サン・ラザール駅。モビレッタを止めていたジュールの横で、裸足で歩いてきた女がよろめいた。

彼女の名はナディア。売春組織から逃れてここまでたどり着いたのだ。しかしナディアは、彼女を待つ情報屋のクランツと女刑事ポーラの目の前で殺される。彼女を殺したのは、組織から派遣された殺し屋カリブ海と相棒のスキンヘッドだ。しかし彼らが探し求めている組織の秘密が録音されたテープは、ナディアが死の直前に、ジュールのモビレッタに隠した。そんなことを知らない彼は、シャンゼリゼのレコードショップ、リド・ミュージックでレコードを万引きするアルバと言うベトナム系少女と知り合う。不思議な魅力を持つ彼女は、ジグソーパズルに熱中し波を止めることを夢見る謎の男ゴロディッシュとアパルトマンに住んでいる。ジュールは、いつしかこの奇妙なカップルに親近感を持つのだった。

ナディアのテープをポーラとザトペック刑事、そして地下組織の殺し屋が、ディーバのテープを台湾系のレコード会社の男たちが追い、ジュールに危険が迫ってくる。ある日ジュールは、スクラップ・カーをコラージュした自分のロフトが何者かに襲われ、荒らされているのを見て呆然とする。しかしナディアのテープも、ディーバのテープも無事だった。ローブをシンシアに返すために彼女が泊まるホテルを訪れた彼。シンシアは彼の犯した過ちを責め、怒りをあらわにするが、次第に下向きに彼女と彼女の音楽を愛するジュールを許し、心を開いていく。2人はら凱旋門からリヴォリ街、チェイルリー庭園と夜明けの美しいパリの街を散歩する。シンシアのもとに、台湾系のレコード会社の人間が接触してきた。

彼女の完璧な形での録音テープが存在し、自分たちとの独占契約を結ばないと海賊版を出すと言うのだ。ことの重大性を知ったジュールは、彼を追跡するポーラとザトペックから逃げ、パレロワイヤルのメトロの構内にバイク事を突っ込む。ようやくザトペックをまくことに成功した彼に、今度は殺し屋カリブ海とスキンヘッドの魔の手が迫る。ゲームセンターに逃げ込んだジュールの絶体絶命の危機を救ったのは、ゴロディッシュだった。メディアの告白テープには、売春組織の黒幕が警視サポルタであり、ナディアは彼の元情婦であったことが記されていた。事件の全貌を知ったゴロディッシュは、サポルタと地下組織、レコード会社を相手取り、まるで入り組んだジグソーパズルを解くかのように、事件を解決に導いていくのだった。

無人のオペラハウスのステージに立つシンシアを、突然割れるような拍手が包んだ。拍手はジュールが盗み録りしたコンサートのものだ。ディーバの歌を盗んだことを告白するジュール。しかし、シンシアは優しくジュールに言った。私、自分の歌を聴いたことがないわ…ディーバの美しい歌声が誰もいないホールに響き、ジュールとシンシアはそっと抱き合った…とがっつり説明するとこんな感じで、ニュー・フレンチ・ムービーのムーブメントの発端となっただけにとどまらず、様々な分野のシーンに影響を与える結果となった記念碑的な作品で、生涯の1本に挙げる人が数多い作品としても有名である。ブロード・キャスターのピーター・バラカンが言うように、このような粋な作品が評論家よりも大衆から支持されたことが嬉しかったと言っている様に私もそう思う。これは後ほど語るが、監督はきっとオタクなんだろう。主人公のジュールがウォークマンじゃなくてナグラでディーバの歌を録画するところは、かなりオタクの領域=プロ意識が目立つ。それを海賊版に利用しようとする台湾系のアウトローたちが組み込まれていくのが何ともシュールで面白い。そもそもクセのある登場人物しか出てこないのも面白さの1つだ。

しかも摩訶不思議な謎の人物で印象を残しているのが、ゴロディッシュである。最後の最後まで彼は謎のままであった。あのパズルを完成させたときに何かしら発言するのかと思いきや特にないし、白いシトロエンの車を二台持ってたり、金銭面的には金持ちなのか、どういう人物なのかさっぱりでとにかく不思議だった。この説明されないような感覚が私個人好きである。しかも日本人である私にとって、フランスパンを使って、バターを塗ってキャビアを詰め込んだ瞬間に、禅を解く所何かおかしすぎる。しかも神出鬼没で突然助っ人に現れるたり、本当に何者なんだと言うツッコミばかりだ。そもそもあの主人公のジュールが地下鉄の中にバイクで入っていくあんなアクション、あんな繊細で内気な感じの青年にやれる技だとも思えないし、まぁ色々と突っ込みどころはあるが、それも全て映画的であり良いものだ。

それに映画を見れば気づくと思うのだが、この作品の主人公はいわゆる黒人(マイノリティー)である。そしてアウトローもマイノリティ(アジア人(台湾))であるし、出てくる少女も同じくアジア人(ベトナム)である。そういったボーダレスな思想が写し出されていて、国や民族や思想や主義を超えたテーマが描かれている映画でもある。これが世界的にヒットした要因の1つだとは誰もが思うことだと思う。今でこそ当時よりかは聴かなくなってしまったが、当時このサウンドトラックをどれほどリピートしたことか。


いゃ〜、冒頭のオペラ座でシンシア・ホーキンス演じるウィルヘルメニア・ウィンギンス・フェルナンデスが実際に歌うAria from Diva - Wilhelmenia Wiggins Fernandezから"La wally"を聴いたら、もう既にあなたはこの映画の大ファンになっているはず。こんな最高なオープニング他にないと思う。これほどまでに素晴らしい映画を堪能できた事を嬉しく思う。これが長編デビュー作と言うのだから驚きである。そんで、Vladimir CosmaのVoie Sans Issueが鳴り響く中、都会の列車から裸足で降りる謎めいた女性、それを追いかけるサングラスのチビ男とノッポが現れる駅構内のシークエンスの不思議な感覚のも最高すぎる。1つの映画で2つの映画を楽しめるかのようなエピソードが分かれていて最高だ。これが後に本筋へとつながっていく。ここではちょっと悲劇的な幕引きを遂げるんだけど、そこからレコードショップ店で、アジア人の女の子(フランス語ペラペラのフランス在住の女性)がレコードを万引きする下りと移行して、主人公の男性ジュールと出会って、Gianfranco Rivoli & Orchestra Of The Vienna State OperaのRigoletto: A) Prelude B) Act I, Ariaが流れる中、音楽の会話をする路上のシーンも印象的。

しかし、あのオペラをカセットテープに録画してて青基調の部屋でジュールが一人、地べたに座り込んでそのオペラを聴くシーンの圧倒的な美しさ、いちど見たら忘れないだろう。そしてその部屋にアジア人(ベトナム人)の女の子を連れてきて、車用のチューブでコカコーラを飲ませてガソリン臭いと言って嫌がったり、その後にキスしたり、一緒にLa wallyを聴くシーンも良い。La wallyと言えば、Sarah Brightmanの青い影/ア・クエスチョン・オブ・オナーのイントロで彼女が歌っているのを初めて聴いて知った音楽で、その後に本作に出会って、聴いたことある曲だと思いテンション上がったことが思い出される。そして、ジュールがシンシアに盗んだ衣装を渡しに行き、ホテルの部屋で会話する場面もほっこりする。そんでこの映画で最大に魅力的で大好きなシークエンスが、中盤でファンタスティック・プラスチック・マシーンのSentimental Walkが静かに流れる中、一切会話なしで、ジュールとシンシアが街を散策するシーンである。なんとも叙事詩的で美しい場面だ。

傘をさしてる彼女の座っているところへ彼がそっと後ろの椅子に座り、肩に手をかける長回しの真っ正面のショット、なんとも素敵だ。次のカットで、後頭部を捉えそのままカメラが空へとパンする場面は至高。その後にロングショットで2人が歩いているシルエットが写し出されるのも美しい。そして遠く微かに映るエッフェル塔、寝室のベッドで眠るシンシアの寝顔、ソファーで横たわるジュールの姿、どれをとってもいいシーンだ。んで、シンシアがピアノを弾きながら部屋で歌うAve Maria、それを静謐な眼差しで彼女の横顔を見て聴き入ってるジュールの姿、なんとも印象的。ほんでこの映画、終盤ぐらいからとんでもない展開になり、あの内気な性格のジュールが、まさか真っ赤なバイクに乗って、赤いジャンバーと赤いヘルメット装着して駅構内を疾走するアクションが挟まれるのだ。

それがすごい圧倒的で、真っ赤なジュールの姿に、真っ赤な駅構内の壁の色、レオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」の地下鉄でポスターが燃える事件が起こるシーン同様に、タイルでできた地下鉄の壁道をバイクで疾走するシークエンス、電車の中にバイクで乗り込んでしまい、エスカレーターをバイクで登ったり降りたり、すごい演出がなされる。それは追跡であり、逃走している場面なのだが、何とか逃げおおせた彼が、街を歩いているときに、今度は赤いネオンに照らされる演出で彼のファッションと融合する。色彩感覚とか全てにおいて素晴らしい。それにしても物語が風変わりで面白い。音楽を熱烈に愛する郵便配達夫の青年が神秘的な歌声を持つディーバ(美神)と出会い、彼女のアリアを盗み録りして、彼のモビレッタ(原付自転車)に売春組織の内幕を暴露した内容のカセットテープが忍び込ませ、存在しないはずのディーバの歌声を録音したテープ、地下組織の秘密が録音されたテープと言う2本のテープをめぐって彼がパリ中を追いかけ回らせると言う話なのだが、そこに美しいラブロマンスと同時にサスペンス、スリラーを加えて、1つの寓話を完成させてしまったベネックス監督は凄いのである。

デビュー作にして最高傑作と言えるだろう。彼は監督として生涯最後に残す映画を1番最初に持ってきてしまった人物であると思う。それは是枝の「幻の光」にも言えることだ。まだ当時キタノ・ブルーと言う言葉がなかった頃に、すでに彼は青の色彩を基調とした統一された映像美を本作で確立させている。主人公ジュールの住むスクラップ・カーがオブジェとして飾られ異空間のようなロフト施設に様々なポップ・アートが点在していて、そこにベトナム女性アルバがローラースケートで走るゴロディッシュの奇妙なアパルトマンでのやりとり、そしてパリの地下鉄の迷路のような複雑さとカットバックされる演出にジグソーパズルをする男のシーンが挿入され、まるで物語自体がパズル一つ一つを完成させていくと言うような独創的な刺激をモダン的な面白さとして描いている。

これを当時35歳で作ってしまうのだからびっくりする。どうやらこの作品のプロデューサーはセルジュ・シルベルマンの夫人イレーヌ・シルベルマンで、本作がプロデュース第2作となるが、ベネックスが新人監督にもかかわらずデビュー作としては異例の750万フラン(当時約3億円)の予算を与え、無名の俳優のキャスティングと撮影の自由を与えたそうだ。なんとも寛大である。因みに本作の美しい青を基調とした映像を作り出したのは「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「リバー・ランズ・スルー・イット」等の作品をハリウッドで手がけたフィリップ・ルースロである。そして音楽はカタラーニとグノーのオペラを基調にしてエリック・サティ風の環境音楽やエスニック風の音楽などオリジナルの楽曲は「ラ・ブーム」2作や「プロヴァンス物語」2部作等のウラジミール・コスマが担当し、劇中楽曲の演奏指揮も兼ねたそうだ。

本作に登場する風変わりな殺し屋2人のルックスはもちろんなのだが、海賊版レコード業者で出てくる台湾人の風貌もかなり変わっているというかエキセントリック。どうやら原作では海賊版レコード業者は日本パンテオンと言う日本のレコード会社に勤める日本人と言う設定になっているらしい。これを日本人が読むとこんなにも日本人は強欲なのかと思ってしまうため少しばかりショックを受ける。ちなみにベネックスは、日本に非常に関心がある人らしく、日本上映に際して初来日して以来20回以上も来日しているらしい。どうやらオタクに関心があり、作品に秋葉原で取材したドキュメンタリー「オタク」(未公開、94年作品)もあるようだ。私はそれを見ていないのだが…。まだ未見の方はぜひお勧めする。
Jeffrey

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