燃えつきた棒

セラフィーヌの庭の燃えつきた棒のレビュー・感想・評価

セラフィーヌの庭(2008年製作の映画)
4.5
川口恵子さんの『映画みたいに暮らしたい!』に出会わなかったとしたら、僕がこの映画に出会うことはなかったかも知れない。
こんな美しい映画評論を他に知らない。

『彼女に庭があるわけではない。
—中略—
彼女の名前はセラフィーヌ・ルイ。十九世紀後半から二十世紀半ばまで、生涯の大半を、社会の最下層に位置する人間として、労働に生き、描き、そして、精神に異常をきたし、人生の終わりの十年を精神病院で過ごし、死んだ。実在の人物だ。
映画『セラフィーヌの庭』(原題略)の中で、彼女に「庭」が与えられたのは、唯一、彼女が収容された精神病院の中でだけであった。
—中略—
いやもしかすると、映画の最後に、彼女が病室の扉をあけ、彼女の前に広がった美しい緑あふれる光景は、彼女だけが見ることのできた幻影だったのかもしれない。
—中略—
あるいは、それは、マルタン・プロヴォスト監督の、彼女の生涯への、はなむけの映像だったのかもしれない。生涯のほとんどを人々に蔑まれながら、孤独に生き、そしてなお、その孤独の時間こそを、創作の時間としていとおしみながら、芸術に魂を捧げた女性の最後の日々に、監督は、映像をとおして、祈りを捧げたのかもしれない。それほどに一途な生涯であった。
私の心をひどくうったのは、その、幻影のごとき美しき緑あふれる庭を彼女が目にする直前、小さな椅子がひとつ、彼女のために、置かれていたことだった。その時、彼女の硬直した表情に、ふと微笑にちかいものが浮かぶ。
彼女に初めて椅子をさしだしたのは、彼女の絵の才能を偶然見出した、収集家・画商のドイツ人ウーデであった。
—中略—
それは、
—中略—
セラフィーヌが、初めてこの世で、画家として認められた瞬間でもあった。』
二〇〇九年セザール賞最多七部門受賞。
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