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妖精たちの森のninjiroのレビュー・感想・評価

妖精たちの森(1971年製作の映画)
3.0
「回転」を観てから本作を観ると、色々とキャスティングだったり美術だったり、設定が符合しない部分が多くて気になってしまうが、そもそも「回転」を観ていない人にとっては、この作品の存在意義すらも怪しい。
ならば本来もう少し何とかすべきだし、実際大した努力も要せず何とかなる問題ばかりだと思うのだが、それを座して何ともしないのが後のデスウィーッシュな監督、マイケル・ウィナーならではの大らかさということか。
我々も見習って、小さな問題には眼を瞑って、大らかに映画というものを楽しみたいものだ。

そんな気持ちで観ると、最早比較してはいけない気にもなってきたが、そこは思い直して…。
そもそも名作「回転」は、恐ろしい業や恐怖、そしてエロを、一切の直接的描写を無しに雄弁に語った処こそが特筆すべき処だった。

しかし、「回転」でグロースさんが口籠り、ミス・ギデンズが妄想し、観客も総動員で自らの想像を掻き立てようとはするものの、作中の実態は全くなかった事象が、本作では笑ってしまう程完全に、そして勿論下世話に再現される。
言わぬが花が、語るに落ちるとは、正にこのことである。

「回転」とは違う意味で、今我々は何を観ているのか解らなくなる、という瞬間が、きっと貴方にも訪れるでしょう。
私はうっかり団鬼六の世界に知らずに脚を踏み入れてしまったかなと、本気で軽く思いました。
この急ハンドルの切り方には、本当に脳を揺らされる。

という本作であるが、本作の魅力の最たるものは、やはりマーロン・ブランド、その人である。

シンプル且つ直裁的な人生観を、無垢な子どもに対して容赦無く語り、語るも動くも清濁併せ持つブランドは、世俗的には鼻摘まみ者だが、未発達故に自身の本能からの清も濁も止めどのない子どもにとっては、完全なるヒーローである。
こんなおっさんが子ども時代にそこらに居たら大好きだっただろうし、実際似たような憧憬を描いた実在のおっさんも何人か思い当たる。
今考えれば、その人らも「世間的」には一様にクズだったんだろうな、という事も、今は解る。
それが解るに充分な大人になった今でも、このブランド演じるクイントの強烈な魅力には圧倒される。
「回転」とその前日譚である本作に、唯一といってもいい地続きな部分は、クイントという人間の持つ、子ども・人を虜にする魅力である。

その「魅力」に説得力を持たせ、両作を繋ぐ橋を掛けたブランドの力技は、やはり凄い。
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