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神経衰弱ぎりぎりの女たちのFoufouのレビュー・感想・評価

神経衰弱ぎりぎりの女たち(1987年製作の映画)
3.5
今どき「神経衰弱」なんてことばはトランプ遊びでしかお目にかかりません。かといって『ナーバスな女たち』という邦題では、内容のスラップスティック感は伝わらないわけで、絶妙な邦題、といえるかもしれない。

10代の頃に観ているはずなんですが、まるで覚えていませんでした。いや、人の記憶とは不思議なもので、マンボタクシーが登場すると、あ、これ、覚えてる! とはなりましたが、ほかはあらすじも何も初見と変わらず。あれ、このなで肩のマザコン坊や、アントニオ・バンデラスじゃね? と興奮してみたり。

冒頭のカット割からセンスが炸裂します。ペドロ・アルモドバルだ! って一発でわかりますものね。と同時に、この人もまた、ヌーベルバーグの影響下にあるのだな、とも。そこにゴダールやトリュフォーにはない、女性的感性が横溢する。しかも当人は女性でないという。そりゃ、独壇場にもなりますよね。

ひとりの初老のウーマナイザーに翻弄される女のドタバタ劇、と要約されてしまう、非常に浅薄な内容。センスは最初から最後までビンビンですが、後年のアルモドバル映画において先鋭化する、母なり娘なりあるいはゲイなり、ある役割を与えられずにはいない人間のどうしようもない悲哀みたいなものは、鳴りを潜めている。本作の延長線上に『キカ』があるのだと、妙に納得。作家性のありようとして、ナンセンスに振れる方向と、シリアスに振れる方向の二つがアルモドバルにおいて共存することの、改めての発見。豊かさの源泉を見るようです。

楽しめますが、腹から笑えるかといわれればどうでしょう。ブラックかといえば、そうでもなく。

小生は、冒頭のアテレコのシーンだけで、もう大満足。こんなふうに男女の来し方行く末を映像で語らせた映画を、ほかに知りません。
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