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シャッター アイランドのsleepyのネタバレレビュー・内容・結末

シャッター アイランド(2009年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

三者三様の・・・ 

失意。実は〇〇・・・、妻と子が・・誰が誰でこんなことが原因で・・そういったことを楽しむ映画ではないことがわかっていると、一段、本作を堪能できる。この映画がいつものスコセッシのテーゼである「贖罪」、重層的で工夫溢れる「表現」そのもの、3人それぞれに異なる喪失。映画はもちろん「筋」「オチ」ではない。読めたとかどうとかいう見方では、いつまでたっても映画というジャンルは分からないし、本作はわからない。宣伝部の惹句に惑わされてはいけない。とはいえ・・が・・という点がオチと勘違いしている方が居るかも知れないけれど、その後2回ひねる。

映画はストーリーが最重要ではないけれど一応未見の方は★までスルーしてください。

真実が判った後の最後の数分に至り始めて本作の三者三様の悲しみが溢れる。正常に復したが、周りを欺き自ら進んでロボトミー手術へ向かうテディ(理由は書くまでもない)、唯一テディの一時正常を(謎めいた言葉で)告げられたシーアン先生、そして正常に復していないと欺かれ、自身の信じた治療が功を奏しなかったと思いこまされた院長(ここのキングスレーの芝居は圧巻)。

終わっては巻き戻されるテープのような人生のテディも悲しいが、旧態依然とした患者扱いに反対し、人道的治療成果を証明したい、2年間テディを懸命にロボトミーから遠ざけようと心砕いた院長。そして、気遣いを忘れず危険を伴う治療に当ったシーアン先生の無念。ラスト近くのごく短い2人のリアクションこそ注目すべき。

そして、真実と渾然一体となったスコセッシの巧妙な表現、登場人物たちの悶えるような苦しき情念。水と炎。炎(暖炉や燐寸)が画面に映るシーンは概ねテディの妄想シーンであること。テディが水を以上に怖がること(事情を聴く女性患者のコップが消えることも。これはもちろん撮影ミスではない)。やややりすぎかな、と思うシーンもないではないけれど。それでもダッハウのシーンの真偽など判然としないシーンもある。そして逆にテディが・・であると読んでもいい(スコセッシはそうでない旨発言しているけれど、観客が「良い」と思えればそう採ってもいい)。★

音楽は日本wikiではザ・バンドのロビー・ロバートソンとなっているのは正確ではない。オリジナル楽曲はなく、本作の音楽はすべて既成曲。ロビーが(おそらくスコセッシと共同で)選曲し、ロビーが一部のリミックス(「This Bitter Earth」(D・ワシントン歌)と「On the Nature of Daylight」(Max Richter)など)を担当。島上陸シーンなどに流れる「Symphony No. 3:Passacaglia – Allegro Moderato」(Krzysztof Penderecki)など、本作のためにあるのかと思わされるほどマッチしていて驚く。選曲のセンスの素晴らしさ。

美術も、目だたないCGも、ロバート・リチャードソンの撮影も素晴らしい。ディカプリオもいいけれど、とキングスレー、ラファロが素晴らしく。その脇のテッド・レヴィン(素晴らしい。「羊たちの沈黙」)、J・キャロル・リンチ(「ファーゴ」)、そして院長と見解を異にする名優M・V・シドー。女優陣3人は怖い。短い出番ながらJ・E・ヘイリー、イーリアス・コティーズは忘れがたい。

すべてを説明し解明し、唯一の正解(あったとして)へたどり着くという映画への接し方は楽しいが、それでは抜け落ちるものがある(そのうえ監督らが意図せず表現に現われるものもある)。映画は表現から生じるエモーション。種明かしよりむしろそんな表現や役者に注意して観たい映画。暴力・宗教と並んで、スコセッシの映画に多く登場する「贖罪」「精神的モンスター」を取扱っていて、スコセッシのベストワークではないけれど観るべき作品(そしてW・P・ブラッツィ(エクソシスト原作)の監督作「トゥインクル・トゥインクル・キラーカーン」(Ninth Cofiguration)の雰囲気や構造を併せ持つ。またヒッチコックの「白い恐怖」も)。最後に。ディカプリオは器用ではないけれど、果敢にいろんな役に取り組むガッツある役者です。

★オリジナルデータ
原題:Shutter Island, 2010, US, 製作・配給Paramount, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開比を指す) 2.39:1, 138 min., Color , ネガ35mm(一部65mm)、ポジ35 mm (anamorphic)。

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