夢と現実の境界線。本作を観ていて、これからどうなっていくのだろうと思った。
自分も一回だけ、あまりにもリアル過ぎて、現実と間違えてしまった夢がある。
バイト先のTSUTAYA。休憩時間に眠過ぎて、仮眠をとった。自然に起きたら休憩上がり3分前。慌てて水分補給をして、制服を着て、タイムカードを切って、さあ働こうと思ったら、事務所のドアが開かない。何度ドアノブを上下させて、押しても引いても、絶対に開かない。
あれ、なんかおかしいなと思ったら、目覚ましの音で「もう一度」目が覚めた。ああ、さっきまで夢の中だったのかと気づくまで、数分かかった。
夢の中体験した喉を潤した感覚も、タイムカードの音も、ドアノブのひんやりとした感覚も、全部鮮明に覚えていて、「本当に」いま目が覚めているのか、しばらく不安だった。
こういう「リアル過ぎる」夢だったら、現実と夢の境界線が曖昧になってもおかしくない。これは現在も起こりうる。
でも夢にはリアルなものもあれば、本作の「行進」のように、突拍子もないものも沢山ある。
そんな突拍子もない夢と、現実とを間違えることはないだろう。いまは、現実が「あまりにもリアル」だから。
ただ、これが話題のメタバーストとか拡張現実みたいな話が普及して日常になってくると、現実すらも、ある種「突拍子もなく」なってくる可能性がある。
そうした時に、夢と現実との境界は、もっともっと曖昧になっていくんだろう。
誰も経験したことがないからわからないけれど、人間の脳は、空想をリアルに描ける仮想現実と、空想が際限なく現れる夢とを、うまく区別できるほど優秀なのかな。