あまのかぐや

ハンニバルのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

ハンニバル(2001年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

あまり評判は良くないようですが、わたしはシリーズでも結構上位にくるぐらい好きな作品です。

ずーっと前から好きで好きで。でもあまり周りの評価は高くないし。これだけ気持ち悪いくらい「好き」を主張するのも恥ずかしいなと、ずーっと何年もお蔵入りしていたレビューです。気持ち悪いから、この作品好きじゃない人は読まないことをお勧めします。ってぐらい。

前作は「クリミナル・マインド」のような犯罪捜査系サイコサスペンスとするなら、こちらは…うーん、なんと言ったらいいんでしょう。オープニングの哀切な旋律にのせて見せる灰色のヨーロッパの街並みと監視カメラを通したような映像。恐怖の質・映画の温度がまったく違う。こうきたか、と姿勢をを正して臨みたくなる。

フィル博士と名前を変えヨーロッパに潜伏中のレクター。フィレンツェのパッツィ刑事。アメリカでのクラリス捜査官周辺の話。恐怖の食肉王、メイスン・バージャーのエピソード、などなど、とても1編の映画に収めてきってしまうのがもったいないほどのコンテンツが目白押し。

レクターの存在感を浮かび上がらせるような、ゲスな登場人物が次から次へと登場します

まずはアメリカの資産家メイスン・バージャー。食肉業者の親の築いた資産でニューヨーク郊外に住む大富豪。昔、レクターが精神科医として治療していた患者です(最近のテレビ版「ハンニバル」でもゲスさ炸裂で登場しているようです)。変態行為が行き過ぎ、飼い犬に顔面を食べられた結果、今はものすごい容貌のうえ、車椅子かベッドの上でのみの生活をしながらも有り余る財力を駆使してあちこちに金をばらまきレクターへの復讐の機会を狙っています。特殊メイクで素顔が全く分からないけど、これゲイリー・オールドマンです(過去の“変態行為”の回想シーンではちらっと素顔がでます)

そのほか、バージャーの養豚場があるサルディーニャ島の悪党たち。それから中堅キャリアとなったクラリスを陥れ目の敵にするFBI司法省のクレンドラーなどなど。いかにも殺したくなるような胸糞悪役キャラクターだらけです。

レクターが悪役?・・・この映画全般とおしてわたしにはぜんぜんそんな感じがみえなかった。むしろ世の中の汚れを掃除して贖罪(食材)に変えて歩いているようにも見える。

FBIの重要容疑者ファイルにアクセスしてレクターの情報を得ていた、フィレンツェ警察のパッツィ刑事は、FBIに通報するか、それ以上の懸賞金をかけているアメリカの大富豪メイスンバージャーにレクターの所在を売るか、天秤にかけます。

レクターがそれに気づくか否か。見てるほうはレクターがそんなバカではないと知っているから、パッツィの愚かさ浅はかさにハラハラし、かたずを飲んで見守る。

なかでも一番お気に入りのシーンは、オペラ観劇後のパーティー会場で、パッツィとその妻アレグラに接触するフィル博士(レクター)のシーン。
カッポーニ宮の司書に採用される最終試験として講義をするシーンもよかった。ここをみてフィル博士=レクター役は、アンソニー・ホプキンスでよかった、と改めて心から思いましたね。猟奇殺人鬼なだけではないレクター。深い教養と品格のある思想家芸術家な面を見せますが。その講義の内容の、なんと血生臭いことか。

刑事と稀代の殺人鬼の、静かな駆け引きがフィレンツェの古い町並みや歴史ある古い建物を舞台に、まるで古典劇の舞台のように描かれる。美しくも凄惨な描写。ちなみに音楽はハンス・ジマー。これもポイント高い。

パッツィ刑事もまた、アメリカ組ほどではないけど、欲に目が眩み、レクターの恐ろしさを舐めてかかり、身の程もわきまえずに罠をしかける、なんとも浅ましく愚かで下司な田舎刑事なんです。ジプシーの男の命を軽視し、レクターの証拠を掴むための釣り針につける餌にするあたり、この刑事の性根がわかるというもの。

わたしは、レクターがパッツィ殺害後、フィレンツェからアメリカに戻って以降の展開は、おまけエピソードと観ているので、フィレンツェを舞台にした名作のまま終わっている気がします(アメリカに戻ってからのレクターの服や行動が急にアメリカ風に俗っぽくなっているのが面白いけど)

やはり後半の、クレンドラー絡みのシーンのインパクトがありすぎて、どうも「グロ映画」とばっさり切り捨てられてしまってる気がしますね。ちょっとやりすぎた感じかなー。わたしはサルディーニャのちんぴらたちが豚に食らわせる練習しているシーンのほうが目をそむけたくなりましたが。バージャーも、その手下たちも、クレンドラーもゲスすぎて、それぐらいのお仕置きじゃむしろヌルイ!食べたほうがお腹壊しそうなほど汚れたやつらだ、ぐらいに思っていますし。

(ちなみに映画では豚さんたちに食べられていたバージャーですが。原作ではウナギに食べられます。どんなか!と興味がわいたらぜひ原作を手にとってみてください)

「羊」でも、レクターが手にかけ殺そうと思うのは、軽蔑すべき矮小な人間たちだったことを思い出して下さい。やることも言うことも汚くて愚かな登場人物が、レクターの鮮やかな手際と残虐なやり方でフェイドアウトしていく様は、観ているこちらの溜飲が下がる。

観てる側がレクターをどんどん好きになるように、まんまと仕掛けられてる気がします。前作の監督も、そして今回の監督リドリー・スコットも、主演アンソニー・ホプキンスまでがみな一丸となって「レクター擁護派」を作って、いったい何をしようとしてるんでしょうね。

クラリス・スターリング役を気に入っていたというジョディ・フォスターが、今回この役を降りたのは「あまりに猟奇的過ぎる」という理由からと聞いていますが、わたしは違うかな、と思いました。あくまで「わたしがジョディフォスターなら降りたくなる」って理由ですから、軽く読み流して信用しないでくださいね。わたしジョディフォスターじゃないから。

あまりにハンニバル・レクターのキャラクターが濃すぎて、「羊」のように好敵手かつ魂の友、2人の主演を抱えた作品にならないから、という気もしました。レクターに花を持たせるという意味でね。ジョディ演じるクラリスの名演を思えば、今回のクラリスのようにおとなしく個性を殺し、脇に降りる感じがしない。10年を経て中間キャリアになってとはいえ、クラリスはただの綺麗で冷徹な捜査官ではないのよね。ジョディの演じたようにトラウマ抱えた不安定な精神を秘めているとこがみえないと。

あとはクラリスとレクターの関係が魂の繋がりより、あからさまにレクターの恋心が露骨でな。精神よりセクシャルに寄った関係になってしまったことも、ちょっとな。って気がする。電話で「鳩」の話をしているころは、まだクラリスの行く末を案じる師のようなプラトニックな情のみだった気がするのだけど。いつでもまわりの男に、女性な部分のみ見られていたクラリスが(今回のクレンドラーといい)唯一、女としてよりも精神を認めてプラトニックなまま高みにあげてくれた存在がレクターだったからね。

生身のクラリスをみて、成長した色香に負け、彼独自の世界に誘いこんだようにみえたあたりが運のつきだったか。レクターの信念としても。

このひとたちの関係は、原作のように完全陥落してもダメ。今作のラストのように突っぱねてもダメ。って、先にも書いたように単に私の好みな話かもしれないですが(笑)