こたつむり

裸のランチのこたつむりのレビュー・感想・評価

裸のランチ(1991年製作の映画)
3.0
「あー、俺、そろそろ本気出すわ。小説書いて一発当てるわ。だから仕事辞めるからさ。よろしく」なんて身内が言い出したら見せるべき作品。クロさんことデヴィッド・クローネンバーグ監督の作品の中では上級者向け。

本作について端的に書けば、
ドラッグに蝕まれた作家が幻覚と現実の狭間で“ぐっちょんちょん”になる物語なんですけども、“本質”を追求して無駄な部分を排除するクロさんが真正面から“ぐっちょんちょん”に取り組んだ結果、何処とも繋がらない“本質”だけが残ってしまい、難解に仕上がってしまった作品なのですな。

つまり、
観客を信用して“枝葉”を切り落として“本質”を浮かび上がらせたのに、実は観客が求めていたものは“枝葉”の部分だった、という壮絶な皮肉であり、本作が失敗作だと評される原因の一端なのですけれども、それは翻って純度の高い“本質”だけを楽しめるという長所でもあるわけで、観客が難しいことを考えずに真正面から“ぐっちょんちょん”を受け止めれば、“ぐっちょんちょん”の世界にダイブできるわけです。

勿論、
「わだじワカンナイ」と匙を投げても良いのですけれども、短い人生急いだところで飛んで八分歩いて十分、なかなか現実の世界ではお目にかかることのない“ぐっちょんちょん”を純粋に楽しむ良い機会ですし、まあ、匙を投げなくても、事前準備を疎かにして理屈で読み解こう、なんて僕のように悪手で展開すると、前後が繋がらない会話、唐突な場面、読解難解、奇々怪々、隙間だらけの脳細胞じゃ判断不能、処理不能、おまえなんかじゃNoNoNo、気付けば睡魔の兵隊が、つったかた、つったかた、と鑑賞後に這う這うの体となるのは必至なわけで、折角の鑑賞時間をドブに捨てるのは勿体ないです。

とは言え、
“ぐっちょんちょん”を真正面から楽しめれば良いのですが、やはり肌触りの良い“枝葉”に慣れ親しんでいると“ぐっちょんちょん”が“ぐっちょんちょん”なので、物語を楽しむヒントを事前に入手しておくことが重要なのですが、そのヒントとは→→→本作の主人公にとって利き腕も同様の魂を刻み込む大切な商売道具、それが“タイプライタ”でありまして、クロさんはそこに着目をして演出していますから、“タイプライタ”が話し出したり、何かの液を出したり、触覚が震えたりするのは必然で、いずれ黒々と光を反射しながら茶褐色の羽で空を跳ぶことが理想だったと言えると思います→→→ではないのでご注意ください。

結論として、
クロさんに負けじと真正面から書いてみましたが、僕の表現力ではこれが精一杯。
もう、頭がぐでたま。
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