フライ

ドゥ・ザ・ライト・シングのフライのレビュー・感想・評価

ドゥ・ザ・ライト・シング(1989年製作の映画)
4.1
人種差別に感じる皮肉と、全く救い様の無い内容に、虚無感が。
黒人社会の病巣と言うか呪縛と言うか、未だに続く、警察の黒人への暴力と殺人が無くならない理由と原因、アメリカが抱えた色々な闇を、ここまで辛辣に描いていたのには驚いた。同時に日本の閉鎖的な地域や人の姿など色々なものも重なるだけに、嫌な気持になったし考えさせられた。

ニューヨーク貧困者の多く集まった黒人街。気温が37℃の猛暑日、イライラと不満が街に充満していた。
黒人ムーキーは、妹ジェイドの家に居候しているが、ティナとの間に子供がおり、結婚は考えておらず1週間に一度SEX目的で帰るだけ。これ迄も仕事が長続きせず、ようやくイタリア系アメリカ人サルのピザ屋で、顔の広さや真面目な妹ジェイドの信用もあり、配達の仕事に着けるが、配達以外は殆ど何もしない。
イタリア系アメリカ人のサルは、長い間黒人街でピザ屋を経営して来た事も有り信頼を得ていた。現在は息子で長男のピノ、次男のビトと一緒に仕事をしている。イタリア人を愛し、壁に著名人の写真を飾るが、だからと言って黒人に対して偏見は抱いていない。さぼるムーキーには不満も。切れるとやばい!
サルの長男ピノは、弟ビトに何でも命令し、言う事を聞かないと暴力で抑圧する。黒人が嫌いで、出来ればこの街から離れ、イタリア人街で店を開きたいと考えている。弟ビトと仲が良いムーキーを不満に思い、いざこざも。
次男のビトは、命令、抑圧する兄が嫌いで、父サルに訴えるが聞き入れて貰えない。ムーキーとは仲が良く、ピノを殴れとけしかけられているが…
黒人のラジオ・ラヒームは、何処に行くにも大きなラジカセを持ち歩き、人の迷惑を顧みず大音量で音楽を流し続ける。サルの店でも音楽を流し怒られる。それが切っ掛けで大変な事になってしまうのだが。
黒人のバギン・アウトは、黒人意外は認めず、サルの店に飾られている写真にクレームを入れ出禁に。黒人仲間にサルの店のボイコットを呼び掛けるが全く聞き入れて貰えず不満がつのる。
黒人のスマイリーは、知能障害と言語障害を抱えながら、差別反対を訴えながらキング牧師とマルコムXの写真を2ドルで売っている。
黒人のメイヤー(市長)と呼ばれるヨレヨレの服を着た老人は、昼間からビールを飲みながら街をうろつくが、周りからはそれなりに信頼される人格者。
ほか多数
そんな人物や街に住む人達が、常に不平不満と文句を垂れ流し続けながら生活しているのだが、とんでも無い大事件へと発展してしまう。

アメリカで頻繁にニュースになっている警察官の暴行による黒人殺害事件に、差別問題が必ずセットで報道されるが、違和感を感じた人はいると思う。そんな違和感を赤裸々に表現したストーリーに、正直驚きと、尊敬の念を抱いた。そしてそれはスパイク・リーと言う偉大な黒人監督だからこそ製作出来たのだろうと思えたし、抜群のセンスがあるからこそ、作品の素晴らしさを感じた。
常に不平不満を訴え、人の成功をやっかみ、自分に問題がある事をなど考えもせず、それ故に自分を変えようとも思わなければ、変わる事も出来ない無い負の世界。常に悪いのは他人であり、自分達は被害者と言う構図に、アメリカ社会に根付いた深い闇を垣間見た気がした。同時に、それは大小はあるとは言えアメリカだけでは無く、色々国や人にも当てはまる身近なマイナス要素なだけに、本作に描かれた内容が胸に刺さった。特に黒人の著名人を自分の事のように自慢するシーンに、彼らは変われたのに、自分は変われない、何とも言えないシュールさと虚しさ、悲しさを覚えた。
一番辛かったのは、母親が子供の前で繰り返す批判と暴言の数々に、逃れようの無い負のスパイラルを感じた。しかしそんな場所にもたまに居る人格者と思える人達の言葉に、ほんの少しの癒しと変化の兆し、未来を感じさせてくれたのが救いだった。
昔は一方的に白人が悪かったのは自明の理だが、現代社会においては、黒人も色々な人種を憎しみ暴力を振るう差別的な行動も有るだけに、本作鑑賞後、エンドロールで流れるキング牧師とマルコムXの、全く違う言葉が悲しい位伝わってきて、理解は出来るだけに、同時に皮肉に思え気持ち悪くなった。

中々シュールなストーリーと、キャスト達の激アツな演技に、かなり見応えを感じた映画だった。最初こそ、苦笑いしながらも楽しく見ていたが、途中からは苦痛でしかなかった。それでも普通に人種問題を扱った映画で無い事は間違いなく、寧ろ学ぶ事の方が多いだけに、一見の価値は充分有るかと!
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