シネマの流星

デジモンアドベンチャーのシネマの流星のレビュー・感想・評価

デジモンアドベンチャー(1999年製作の映画)
5.0
細田守という固有名詞が躍動する夜明け前。東映アニメーション時代の映画監督デビュー作。20分の短編に無名の新人は伝説を彩った。

主人公・太一とヒカリの両親は登場するが、顔をハッキリ描かず、ネバーランドの世界を創造。視点はキャラの目線ではなく、観客の目線。登場人物たちの物語ではなく、映画は観客のもの。だから我々は同じ時空を生きられる。

生まれたての頃は猫にも負けるデジモンが、数分の間で大きく変貌する現象は、日々小さな革命を起こす子どもの成長とシンクロする。映画と子どもは理屈や整合性を超える存在。

繰り返し流されるラヴェルの『ボレロ』。日常が実は躍動的で冒険に満ちていることを奏でる。最後にヒカリから太一に託される笛と同じく、アニメーションは映像ではなく音の芸術なのだ。

2体のデジモンは、どちらが善か悪か示唆しない。むしろ太一とヒカリと心を通わせるコロモンのほうが街を破壊しまくり、ヴィラン(悪役)であるかのように描く。

さらに細田守はラストで、とんでもない仕掛けをする。エンディング曲に使う和田光司の『Butter-Fly』は本来、オープニングの歌。しかし、細田守はラストに指揮した。終わりとは何かの始まりであることを知っている。永遠にループすることを知っている。その後、細田守の代名詞となる「繰り返し」はデビュー作で確立していた。

情熱で捉え、冷静で届ける。細田守は地平線の眼差しを持っている。だから遠くを見られる。遠くに届けられる。
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