垂直落下式サミング

斬るの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

斬る(1962年製作の映画)
3.6
冒頭、ふすまが大写しで画面に映る。その左端から女性の横顔がフレームインし、その顔にクローズアップする。その女性が寝室に忍び込んで、そこにいた女性を殺害する。それにタイトル・クレジットが重なっていく。大映映像主義を象徴する名オープニングだ。
大映映画特有の重々しい音楽と、重厚感のあるセットが、陰鬱な剣の世界を強調する。70分の短めの時代劇だが、それでいて語りの手際がよく、藩のお家騒動や過激な攘夷藩士との戦いに巻き込まれ、追っ手から逃れる姉弟をかくまったり、死にゆく義父から自らの非業の出自をめぐる話を聞かされたりと、恐ろしいスピードで物語が展開していくので、油断すると話に振り落とされそうになる。
独特の様式的な映像美と、殺気だった異彩の世界が、市川雷蔵の美しさを引き立てながら、剣の道に生きる血生臭さを耽美的に漂わせ、物語は進んでいく。
雷蔵の殺陣もさすがで、10人あまりの敵を斬り伏せるのを、横移動ワンカットのカメラワークでみせる。若くして体調を崩しがちだった雷蔵だが、このような激しい芝居を冷静に演じきるだけの確かな役者力をみると、早すぎる死はなんとも惜しまれる。
斬られた胴体が真っ二つになるなど、後にスプラッタ時代劇を撮る三隅監督らしい見せ場はあるが、残酷性はそれほど強調しておらず、この頃はまだオーソドックスな演出に徹していることがわかる。あの血みどろは、キャリアの最後の最後に爆裂させただけで、本来は腰の据わった映像作家だ。眠狂四郎や座頭市を振り返ってみると、三隅研次が監督したものは王道の勧善懲悪が多く、変なことをやっていたのは池広一夫や田中徳三だった。
しかし、悲劇的な出生の秘密はいいが、だからといって主人公が敷かれたレールの上に全面的に乗ってしまうと、物語をつまらなくしてしまう。自分とは何か、隠された真実、呪われた出自、そういうものをすべて知って尚、その運命の支配から自立する。そうやって人は自由を獲得したいのではないか。解放を描く。それが映画だろう。