Melko

エル・スールのMelkoのネタバレレビュー・内容・結末

エル・スール(1982年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

父と娘の、心の軌跡。

親も、一人の人間なのだということを思い知らされる作品。
「ミツバチのささやき」がとても良く、それより主人公の女の子がちょっと歳上だからどうかなあ…と思っていたが、杞憂だった。
エストレリャも息を呑むほどの美貌。そんな彼女と、彼女から見た、父アウグスティンの物語。

この映画を見て、父アウグスティンに嫌悪感を抱いたり、憤怒の気持ちを持てる人は、心穏やかな子ども時代を送ってこられたのだなあ、と羨ましくなる。
「親」いう人間が持つ心のドロドロした部分を見ずに子ども時代を送れたなら、よほど子どもに対して気の遣える、できたご両親なんだなあ、と、ホントに羨ましい。
父親といえど、一人の人間で、誰にも言えない心の闇を抱えていたりするのかもしれない。

私も父に家を出ていかれた身。疑わしいモノを見つけた時の、「胸が張り裂けそう」ってこういうことなのか、というような胸の痛み。思いを馳せる人が他にいるとわかった時の悲しみ。寝てから夜中に聞こえる、両親の口喧嘩。どれもこれもイタイ思い出。私もあの頃、恨みつらみの日記をつけていたな…ああ、イタイ。
それでも、子どものことは一番に考えてくれていた父。だから嫌いにはなれなかった。ウザイと思うことはあれど。

どこかフワフワして、家出癖のある父アウグスティンも、娘エストレリャのことは可愛がる。娘も父を尊敬している。親子はお互いをちゃんと愛している。
写真館に飾られたエストレリャの写真をボーッと見るアウグスティンの視線でわかる。彼は娘が大好きだった。家出して、帰るはずの汽車で帰らなかったとしても、それでも娘を愛していた。はず。
なのに、お互いの愛情はことごとく噛み合わない。そばに居てほしい聖体拝受。お嫁に行くようなエストレリャの白いドレス姿。なのに父はどこかフワフワと心ここに在らず。
きっと、アウグスティンは誰よりも繊細で、自分の元から人がいなくなったりすることが耐えられない人間だったのではないか。元カノにあてた手紙でバッサリ斬られる切なさ。「生きてるかい?」と送った手紙に、「私は生きてます、それが何?」と返される。女は上書き保存。
そうやって、人との関係や、自分の心の整理を器用にできない人間が、アウグスティンなのではないか。不安をかき消すように吸うタバコ。

そんな父を、「わからない」と言いながら、思いがけず彼氏をはぐらかしたり突き放してしまう、血をしっかり受け継いでいるエストレリャ。そんな成長も、アウグスティンは嬉しかったんじゃないかな。
家の前の並木道。バイクで走る父。同じ道を、自転車で走り成長していく娘。

最後のレストランでの会話。ここでも噛み合わない2人。意を決して切り込む娘。端的に返事が欲しかった。だってもう、過去のことだから。
涙をトイレで洗う父。
時間がかかる。あの時のことを説明するのは、心を解いていかなくてはならないから。「授業をサボれないか」と言う父。断る娘。絶望を見せないよう、精一杯おどけてみせる父。娘は一生後悔し、考えていくのかもしれない。どうすれば良かったのか。当たり障りのない会話で仲良し家族を演じるより、心がえぐれてでも、本音でぶつかれば良かったのではないか。ボロボロにはなるが、闇を抱えたまま、あんなことにはならなかったのではないか。悲しすぎる。レストランを後にするエストレリャを見送る窓辺の父に、涙がこぼれた。
大切な家族を傷つけたくないから秘密を葬りたかった父と、傷つき泣きながら、代わりに秘密を葬ってあげた娘。悔しさと、怒りと、悲しさで握りしめる電話の領収証。
死ぬ前に電話したのは誰なのか。きっと…
今から彼女にできることは。エルスールへ、向かう。

元は3時間あって、後半はエルスールへ行ってからの彼女の話だったらしいが、バッサリ半分で切って、これからの彼女を想像させる終わり方だから良かった。
この監督は、俯瞰で見せるところと人物をアップで見せるところの画面切り替えが非常に巧みで、画に見とれていると字幕を読み飛ばしてしまい、何度も巻き戻した。
景色込みの人物を引きに引いた俯瞰のショット、舞台芸術のように人物の顔だけライトを当てる手法、光の少ない中での人物の写し方等、、とにかく画面が美しい。うーん、どのシーンも絵ハガキがほしい。

終わってからすぐ、再度最初から見た。
全てを見た後、冒頭のバイクに2ケツする父と娘を見ると、涙が止まらなかった。
Melko

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