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エル・スールの小のレビュー・感想・評価

エル・スール(1982年製作の映画)
4.3
世界の名作を上映する企画「the アートシアター」の第一弾は、スペインのビクトル・エリセ監督の2作品で、『ミツバチのささやき』とともに上映。『ミツバチのささやき』は寝落ちのため、2回鑑賞したけれど本作も同様。こちらの方が、まだわかりやすいかな。

フランコ独裁政権下のスペインが舞台。スペイン内戦で心に傷を負った父アグスティンと彼の娘エストレリャとの関係が、次第に変化していくことによる悲劇。同じくひとり娘を持つ自分にとっては、なかなか切ない物語。

医師であり、振り子を使ったダウジング(地下水など地表に現れていないものを探す)の名人でもあるアグスティン。ある日の早朝「アグスティンがいない」と騒ぐ母の声で目覚めた15歳のエストレリャは、枕の下から父の振り子を見つける。物語はエストレリャの回想の体裁をとって進んでいく。

エストレリャ8歳の頃、彼女はアグスティンのことが大好き。ダウジングで水脈を探し当てる父は村人を救うヒーローのように見え、父がいればそれで良いと思えるくらい絶対的な存在。

しかし、アグスティンは幼い娘がうかがい知ることのできない心の闇を抱えている。彼はフランコ独裁政権下で弾圧された「共和国派」で、「ナショナリスト派」の彼の父のいる「南」の町から「北」の地へと引っ越してきた。アグスティンは現実を受け入れられず、過去に縛られ、苦悩している。

8歳のエストレリャにとって絶対的存在だったアグスティン。しかし、エストレリャは父の過去や秘密知り、父の態度を通じて、父は唯一無二の存在ではなく、苦悩を抱える一人の男にすぎないと相対化していく。

エストレリャが15歳の時、苦悩を抱えきれなくなったアグスティンはエストレリャに救いを求めるが、思春期の少女である彼女はその苦悩の重さを知り得ず、冷たい表情を見せる。

物語は冒頭のシーンへと戻り、アグスティンを相対化したはずのエストレリャも、未だアグスティンに縛られていることを知る。そして、縛りを断ち切り新たな一歩を踏み出すため、父のルーツを知りに「エル・スール(南)」へ。

過去に縛られた父に縛られる娘。過去、即ち「スペイン内戦」は普通の家族の関係に負の影響を与え、悲劇をもたらす。そんな中、前に進もうとする娘、というような感じの物語だろうか。

以下からは個人的に思ったことを書いてみる。

父は娘に見返りを求めてはいないつもりでも、心のどこかで期待していて、いざという時には最後の拠り所として娘を頼ってしまう。こうした状況は自分にも当てはまり、自分自身、いざというときにそうならない自信はない。

では自分がアグスティンだったらどうすれば良いのか。それはエストレリャが父に対してしたのと同じように、「共和国派」は絶対ではなく、一つの概念に過ぎない、と相対化することだろうと。

子どもが成長ともに相対化の作業をして自我を形成していくのとは違い、自我の固まった大人が相対化するには、徹底的に考えて突き詰めていった末に「これはただの概念だ」という閃きの訪れを待つしかないのかもしれない。ちなみに、この閃きを得るための方法として日本には「公案」とか「座禅」とかがあるのだと思う。

アグスティンは「共和国派」という絶対の概念にすがり続け、それが壊れていくと絶対を娘にすり替えようとして失敗したように思える。信じていたものが崩壊するのはとても辛いことだけれど、人はそれに耐えて生きていかなければならない。だからこそ先人たちの英知が受け継がれているのだなあと、作文していて思った作品。
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