音楽の授業で知った「めんこい仔馬」を気に入ったまる子は、図画の課題である「〝わたしの好きな歌〟の絵」のテーマにしようと考える。しかし、曲をどう絵に表現したらいいか分からない。
そんなときに出会ったのは、プロの画家を目指しているがなかなか日の目を見ない歳上のお姉さん・しょう子だった。
↓ネタバレ
音楽ターンはどれもこれも素晴らしい。ほんとうに。エモさの漂う作画から一気にサイケな世界観にトリップするあの感じ。とても癖になる。
頭のおかしくなりそうな映像に彩られながらも、確かなせつなさを孕みながら進行していく物語。
小学3年生のまる子が出会った、大好きなおねえさん。
「その日のおねえさんは人魚姫みたいにキレイだった あたしはおねえさんが泡になって消えちゃうんじゃないかと心配で 魚を見るフリをして 何度もおねえさんを見てたよ」
この言葉が「もう一回尻をぶたれりゃまだ寝てられるなら、あたしゃそっちを選ぶよ」と言い捨てたのと同じ心から生まれるというのが味わい深いし、おねえさんのおそらく内面から滲み出る美しさに気づいても騒ぎ立てることなく、それを大切に大切に見つめるまる子の可愛らしさに、数秒間息ができなかった。
おにいさんの「君は僕と人生を一緒に歩いてゆくことより 自分の夢を選ぶんだね」って、なんだかおねえさんを悪者みたいに言ったけれど、あんただっておねえさんの夢より自分の都合を優先させようとしてるじゃんかって思っちゃう。
思っちゃうけど、そのあとにまる子が「おにいさんはひとりしかない」と涙ながらに訴えた姿にはぼろぼろ泣いた。「この人に幸せになってほしい」まる子のその純粋な願いが、ひしひしと伝わるからだ。
たとえそのまる子の言葉が、恋よりも夢を追おうとしていたおねえさんの人生を変えてしまったとしても。
それだけでなく、おにいさんから贈られたすずらんにも彼女は背中を押されていた。すずらんの花言葉は「再び幸せが訪れる」。大切な人、愛する人へ贈るお花だが、すずらんの時季は春では無かったか。あくまでも「彼女が自分の意志で結婚を決めたのだ」という印象のためにお花を使ったような見方もできてしまう。
「大好きなおねえさんに会いたい、話したい」ではなく、「おねえさんのお嫁さんになるところを見たい」。それだけで学校をサボって走って走って転んで、必死に登ったジャングルジム。泣きたい気持ちをこらえて叫んだ「おねえさんキレイ!キレイ!」にもぐずぐずになった。
しかし、まる子が「ばんざい!ばんざい!」と手を挙げ、貰ったペンダントを振り回すところで、物語は急に表情を変えたように思う。
「めんこい仔馬」は、ほぼ軍歌だ。東京での夢を捨てて遠い北海道へと嫁ぐおねえさんの姿を、軍地へ赴く馬に重ねたのだとしたら、手放しで「面白い!感動した!」と拍手できる構図ではなくなってくる(あまりの哀しさゆえに)。
もしかしたらこれはさくらももこの人生をなぞっているというか、「わたしが結婚した世界線」をおねえさんに重ねて描いたのかもしれないと思った。
やるせない思いで胸がいっぱいになるのだけど、それでもまる子がおねえさんと出会い、大好きになって、腹の底から幸せを願った、あのやさしい心は決して嘘じゃない。思い出を掻き抱きながら「忘れないよ」とひとりで泣くまる子の姿にまた泣かされてしまった。わたしはあんたの涙を忘れないよ。
感動からの辛辣なナレーション。良いぞ。これでこそちびまる子ちゃんだからね。
軽い気持ちで観たのにこんなにも心を奪われ、考えさせられるとは思いもしなかった。