みかんぼうや

禁じられた遊びのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

禁じられた遊び(1952年製作の映画)
3.8
【思い出に残り続ける超有名なギターの旋律をバックに、戦場の生々しさを見せることなく、戦争の残酷さを表現する。】
様々な思い出とともに、】

小学校の頃に、祖父母が観ているテレビ画面から何度となく聞こえてきた、あの切なげなクラシックギターの音色。10歳にも満たない自分は、祖父母に聞いた。「それ、何を観ているの?」「“禁じられた遊び”よ」。それが映画であることすら認識していなかったが、ただ、そのメロディとタイトルだけは鮮明に記憶に残っていた。

大学生になり、所属していたサークルの向かいのギターアンサンブルクラブの部室から、あのメロディが流れてきた。それも毎日のように。誰かが延々とあのメロディを練習している。ある日、私は抑えがきかず、向かいの部室のドアをノックし、話したこともないその女性にたずねた。「それ、“禁じられた遊び”の曲ですよね?」。その人は嬉しそうに答えた。「そうです!この作品、お好きなんですか?」

そんなエピソードを思い出すほど、自分の中でメインテーマが先行し、音楽を知っているだけで観た気になっていた映画(これは「スターウォーズ」や「ロッキー」にも通ずるところあり)。

結局、この大学時代から今に至るまで、一度も観たことがなく、正直、どんな設定や物語なのかといった以前に、反戦関連の映画であることも比較的最近知ったほど。

そんな中での今回の初鑑賞。戦争×小さい女の子が主人公ということから、勝手に「ほたるの墓」のような作品だと無意識のうちに思っていました(よく考えると意外と子どもが主役の反戦映画を観ていないな、と今作を観て気づき、すぐに思い浮かんだ他作品が「ほたるの墓」でした)。

ですので、オープニングの両親のくだりこそ、かなりダイレクトな戦争描写だったものの、それ以降は直接的な戦争における死の描写が無かったことにかなり意外性を感じました。

作品を観て初めて分かったタイトル「禁じられた遊び」の意味。作品の全てを表すような秀逸なタイトル。「ほたるの墓」とは表現も設定も違えど、どんな戦時下の苦境にあろうと、ましてや親を失おうと、子どもはただ毎日泣き叫び続けるのではなく、目の前にある興味や面白いことに意識を集中させ、前に進んでいく。その無垢さを見ることで、戦場とはまた異なる、戦争による残酷な現実を感じずにはいられませんでした。

特に印象に残ったのは、オープニングの両親のくだりの時のポーレットの悲しみよりも、ラストの彼女の表情が、より悲しみと不安に満ちて見えたこと。敢えてその先を描かず余韻を残すことで、彼女に待ち受けるものの厳しさを最大限に表現したような内容でとても皮肉的で胸に突き刺さるものがありました。

先述のとおり「ほたるの墓」のようなダイレクトな表現を想定していたせいか、多くのレビューにも書かれている悲しみの涙、のようなものは流れませんでしたが、鑑賞後にじわりじわりと胸の中で広がる悲しみを感じる作品でした。

ちなみに、冒頭の大学時代に声をかけた女性こそ、後の私の妻である。


・・・なんて、映画みたいなエピソードがあれば面白いのですが、質問に対する私の回答が「実は、一度も観たことがありません」という、なんとも話が盛り上がらないものであり、結局、それ以降、ほぼ一度も会話することはありませんでした。そんな思い出もセットになっている映画です。
みかんぼうや

みかんぼうや