土偶

エコールの土偶のレビュー・感想・評価

エコール(2004年製作の映画)
3.6
ずっと昔に耽美系美少女映画として「ピクニック at ハンギングロック」や「ヴァージン・スーサイズ」とセットで語られる事の多かった作品である。
先の2つは観たことあるけどこれは見たことはなかったのでアマプラのリストにあるのを見て懐かしくなって観た。
壁に囲まれた森の中でどこからか棺桶に入れて連れてこられた少女達がバレエと生物学を寄宿学校で学ぶという話。最近はこの手の設定は某ネバーランドや某を離さないで、ブラッドラーハレーの某などと悲惨なことが多いので覚悟して観たのだが意外と安心して観れた。
カメラワークや台詞やカット割やストーリは明らかに性的な隠喩に満ちているとも言えるし、一方で完全に性的要素を排除したとも言なくもない。
ピクニック at ハンギングロック」のミランダや「ヴァージン・スーサイズ」のキルスティン・ダンストのような圧倒的美少女がいないのが余計リアルだった。
先の2つよりこちらの方がいい映画に感じた。
この手の映画や文学に触れると思うのは日本人には西洋圏のペドフィリアは本当の意味ではわからないのではないかということだ。
以前ウィーンのカフェでコーヒを飲んでいた時に、凡庸な人間とは全く違う種族にすら思えるほどの美少女がピアノの発表会のようなフォーマル姿で弾ける笑顔ですましてオレンジジュースを飲みながらケーキを食べるのを見て衝撃を受けたことがあった。まさにそこだけ空間が発光しているように見えたのだ。
日本人のおっさんの私だからそう感じるのかと思えば周りのお客さんも同様にその美少女に見惚れていた。
老いた画家バルテュスが最後のモデルとなった少女アンナに初めて会った時にその美しさに恐怖を覚えたというように、西洋文化からはこの少女のような畏敬の念を抱くほどのとてつもない存在が生まれるかもれない。
そして西洋のペドフィリアに対する戦いは圧倒的に無垢で美しくかつ完全に無防備というアンビバレントなこのような存在に対峙した時の人間存在の醜さとの戦いでもあるのだ。
上野千鶴子はフェミニズムを「各々の内なるミソジニーとの戦い」と定義したが、西洋のペドフィリアを克服する戦いは内なるペドフィリアとの戦いでもあるのだろう。
結局、この映画をどう感じるか、そしてどう感じたのかは自らに対する問いかけでもあるのだ。
うむ!うまくまとめた!
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