垂直落下式サミング

用心棒の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

用心棒(1961年製作の映画)
4.8
実はコミカルタッチな時代劇アクション映画。というより、この軽やかな小気味良さが昔ながらの日本演劇のリズムなのかもしれない。
この映画は、三船敏郎がさびれた宿場に足を踏み入れる後ろ姿から始まり、その宿場を背にして去って行く後ろ姿で終わる。始まりと終わりの姿に変化がない。普通なら、物語が始まれば終わるまでのあいだに主人公の心には何らかの揺らぎが起こる。それは、前進であったり、苦悩であったり、解放であったりと、形は様々だろう。しかし本作の素浪人は、用心棒としての仕事を片付けると何事もなかったかのように砂吹雪のなかに消えてゆくのである。彼はただ契約した仕事を務め果たしただけに過ぎない。これがたまらなくクールなのだ。
黒澤明は、ホークスやジョン・フォードなどのアメリカ娯楽映画を徹底的に研究し自作に取り入れた監督で、海を越えたヨーロッパでその作品から影響を受けたマカロニウエスタンが多く撮られるようになり、逆輸入される形でハリウッドにも再びアクションの潮流を生んだというのがよく語られるが、字面にするだけでスゴイ影響力だということがわかる。
ともあれ、日本の国内ではそれらの作品が革新的過ぎたために時代劇の衰退は速まった。彼は『七人の侍』という映画史に輝く一本として語られるような作品を残し、この『用心棒』や『隠し砦の三悪人』ではジャンル映画に求められる水準をかなり高いところまで押し上げてしまった。それによって、横に並ぶものや、後に続くものは常にその映画群と比較され、役者も作家も時代劇にエグいほどに才能を搾り取られるという不幸がおこる。消費者が「新しい」を求めだすと、仕事は研ぎ澄まされていく一方で、コンテンツの寿命はゴリゴリ削られていくいい例だ。三隅研次や五社英雄がおおらかにチャンバラ撮ってる場合じゃなくなっちゃったのは基本クロサワのせい。