satoshi

用心棒のsatoshiのレビュー・感想・評価

用心棒(1961年製作の映画)
4.6
 巨匠・黒澤明監督の名作時代劇。午前十時の映画祭9にて鑑賞。私のような若い人間には、名画座ではなくシネコンでこういった名作を観られるというのは本当にありがたいです。朝起きるのが大変ですけど、感謝しかありません。

 「時代劇」と聞いて真っ先に連想するのは、『水戸黄門』のようなワンパターンな連続シリーズか、往年の東映映画の様なチャンバラ。ですが、本作のメインはこのようなものとは違い、「力」を誇示している人間を三船敏郎演じる風来坊が翻弄し、終いには両方とも全滅させるという”痛快”という表現が本当にぴったりくる作品でした。

 本作で描かれていることはつまり、「力を誇示してばかりの人間は一皮むけば皆バカ」であり、それに群がる人間もバカ、ということだと思います。彼らは力を誇示し、宿場を牛耳っています。表面上はとても強そうです。ですが、そこに桑畑三十郎(仮名)がやってきて翻弄することで彼らの本性(=バカ)が見えてくるさまはまさしく痛快の一言。両者をそれぞれ画面の端に置き、真ん中の塔で高みの見物をしている風来坊がこの精神を端的に表しているようです。そう考えると、本作にはやたらと「実績」を自慢したがる連中がいます。序盤で腕を切り落とされた奴とか。外見の強さにだけ頼ろうとしているのです。でも、「外見上の強さ」しか見ていないから、藤田進演じる用心棒にコロッと騙されるのです。

 また、翻弄され、手玉に取られる一家を観ていると、何だか笑えてきます。序盤のいがみ合って互いに手出しできないさまはさながら中学生が喧嘩で先陣斬るのをビクついているようにしか観えません。このように、作中の半分くらいを翻弄される一家を描くことに使っているため、笑えるシーンが多く、全体的にコメディっぽくもあります。

 本作で特筆すべきものとして、三船敏郎演じる主人公が挙げられます。卓越した実力を持ち、一家を翻弄するほどの頭脳を持っている。しかし、どこか情に厚く、困っている人間を見捨てられない面もあります。このような完璧超人な彼ですが、三船敏郎が演じることで、抜群の説得力を得ていると思います。このため、本作は三船敏郎のスター映画と言えます。本作が三船の背中で始まり背中で終わることからもそれを感じ取れます。

 上述のように、本作には偉ぶっている奴らが翻弄されている痛快さがあります。これに加えて、本作には観客を興奮させてくれる娯楽性も完璧に備えています。三船が要所要所で行う、当時としては画期的な、様式美に囚われないチャンバラはとてもカッコいい。そして何より、ラストが素晴らしい。あの最終決戦は本当にあがる。さらに全てが終わった後、三十郎(仮名)の「あばよ」とともに映画が終わる切れの良さ。興奮冷めやらぬ中終わるため、終了後もしばし余韻が残るのですよね。このキレの良さは今の映画には無いなぁと。いや、『リズと青い鳥』はあったか。

 本作は、まさしく”痛快”な娯楽時代劇です。細部の作りも大変凝っていて、観ている間は夢の様な時間を過ごすことができました。ありがとう、午前十時の映画祭。
satoshi

satoshi