Jeffrey

ドッグ・デイズのJeffreyのレビュー・感想・評価

ドッグ・デイズ(2001年製作の映画)
2.5
「ドッグ・デイズ」

冒頭、おおいぬ座のシリウスが天頂に輝く1年中で最も暑い日々。ウィーン郊外の新興住宅地、普通の人々、欲望、ヒッチハイクの女、女性教師、ギリシャ夫婦、セールスマン、空っぽのプール、国歌斉唱、愛犬と暮らす老人。今、サイコパス的乱交パーティーが始まる…本作はウルリッヒ・ザイドルが2001年にオーストリアで初監督した変態映画の極みで、この度廃盤DVDを購入して初鑑賞したが面白い。この作品を今回見るきっかけになったのが、彼のパラダイス三部作のBDを購入して、久々に見返そうと思ったついでに、まだ見ていなかった本作を見るためである。2006年に日本でも公開され一躍有名になったどぎつい映画である。本作はベネチア国際映画祭で上映され、衝撃的な内容が賛否両論が大反響巻き起こし、審査員特別大賞を受賞している。もともとドキュメンタリー出身の監督で、カオスと狂気を描き出すことで知られているドイツの巨匠、ヘルツォークが最も気にいっている映画作家10人のうちの1人に彼の名前を挙げているようだ。徹底的に人間の内面を洞察した本作は異色作と言える群像劇だ。


そもそもこの監督は95年と99年にドキュメンタリー映画を2本(私は未見)とっており、その方法論を生かして長編劇映画に初挑戦したらしい。それが本作、2001年のベネチア国際映画祭で大反響巻き起こし、同映画祭審査員特別大賞を受賞したカオス的さを描き出すことで、知られる様になったドイツの映画作家である。日本では、パラダイス三部作の「愛」「神」「希望」が有名だろう。それに加え、2007年にオーストラリアとウクライナを舞台にした「インポート、エクスポート」もかなりの反響を得たと記憶している。私自身、キングレコードから発売されているBD BOXを持っていて、その4作品はすでに鑑賞している。近年では、「サファリ」(2016)がある。

これはプレスシート(公開当時の)に記載されていたものなのだが、ドイツと言えばファスビンダー、ヘルツォークなどが真っ先に浮かぶ映画監督なのだが、そのヴェルナー・ヘルツォークが、私はザイドルほどには地獄の部分を直視していないと驚嘆したそうだ。この監督の良いところというか、持ち味というのが、人間性を、その負の部分も含めて徹底的にフレームインするところである。さらに群像劇に対して、必ず賛否両論真っ二つに分かれる評価を与えるかごとく、タブーな問題作を作り続けている。多分きっと、平凡にただただ賛否されるような人間になりたくないんだと思う。どこかしらアンチテーゼであり、反社会的な、そういった部分が見てとれる。まぁ風変わりな人間、異端児とかそこら辺の枠組みに入る映画作家だと思う。どこかしらトリアー的な雰囲気もある。確かこの作品海外で賛否が激しくて、日本公開が一時的に未公開になったと記憶しているが、結局のところ何とか公開が成し遂げられた。

さて、物語は、焼けつくような陽射しの真夏、ウィーン郊外の住宅地。孤独な人々の欲望と怒りが交差する、熱にうかされたような数日間の出来事。自分の恋人クラウディアが踊るのを見ていたと言うだけで、ディスコで見知らぬ客に突然殴りかかる男、マリオ。帰り道腐った売女とののしられ、車から引きずり出されてクラウディアがひどく傷つく。子供を事故で亡くした後、離婚した夫婦。妻が連れ込んだ愛人が家でくつろいでいるのを見た夫は、愛人に拳銃を突きつけて脅す。愛犬を絶対的に信頼して暮らす頑固で偏屈な老人、ヴァルター氏。結婚50周年の記念日に、太った中年家政婦に今はいない妻のドレスを着させてストリップをさせ、満足げに鑑賞する。目的地のないヒッチハイクを繰り返す女、アナは騒々しいCMソングや不快なおしゃべりで車の持ち主をイライラさせる。

その上、勝手に鞄の中や持ち物を漁って嫌がられる。最後にはいつも車から下ろされる。警備会社の訪問セールスマン、フルビィ氏。車に傷をつけた犯人を探し出せと顧客たちから責められて困り果て、アナを捕まえて怒りに燃える住民たちの前に差し出す。アナは彼らによって暴行を受ける。年下の恋人を持つ女教師は、恋人ヴィケールと彼の男友だちラッキーに無理に酒を飲まされて、しつこく乱暴な嫌がらせを受ける。翌日再びやってきたラッキーは、前夜の振る舞いを反省し、復讐と称してヴィケールを拳銃で脅し、謝らせようとする。しかし彼女はそれでも愛してると彼をかばう。町中の人々を狂わせるような暑さが頂点に達した時、激しい雷が鳴り響いてまるで人々の熱を覚ますかのように強い雨が降りしきる。

女性教師の態度に呆然として、銃を振り回すのをやめ、1人泣くラッキー。解放されたアナは雷の中を黙りこくって歩き続ける。クラウディアは母と住んでいる家の窓から外をぼんやりと眺めている。愛犬を何者かによって殺されたヴァルター氏はがっくりと肩を落とす。そして、元夫婦はかつて子供が遊んだ庭のブランコに並んで座り、ただ無言で揺られているのだった…とがっつり説明するとこんな感じで、一見普通の人々の内側に潜む狂気があぶり出されていて、ウィーン郊外を舞台に、新興住宅地の風景の中に、様々などす黒いものを見せつけられる映画である。本作はおおいぬ座のシリウスが天頂に輝く1年中で最も暑い日々(ドッグ・デイズ)の人々の欲望を解き放つ映画である。とにもかくにもシュールなシークエンスが多すぎる。男が空っぽのプールでスカッシュをし続けたり、銃をつけられ、ズボンを下ろされちゃう男や、オーストラリア国家を歌わされたり、様々な破廉恥な映像描写が繰り広げられる。この映画は一言で言って、変態的作品だろう。

いゃ〜、文化の都と言われるウィーンを舞台に、ここまで変態の映画が作られてしまうとは正直驚きである。今回初鑑賞したが、ウィーンと言えば、壮麗なバロック建築を始め、少年合唱団、オペラなど古くからヨーロッパ文化の中心地として栄えてきた非常に由緒正しき大都市である。それを舞台にここまで破廉恥極まりない、もっと言葉を強く言えば、品性下劣な映画を撮ってしまった監督は、とんでもない人物である。そのうち"好まれざる客"として映画祭を立ち入り禁止されそうな勢いだ。ヒットラーを肯定したトリアーの様に…。そしてウィーンと言う場所は、モーツァルト、19世紀末から20世紀初頭のギュスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、現代音楽の祖アーノルド・シェーンベルク、20世紀半ばには、過激な身体パフォーマンスを含む前衛美術運動ウィーン・アクショニズムのアーティストたちもこの都市から輩出された事は有名な話だろう。オーストリアの映画作家ではやはり不条理な世界もしくは理不尽な世界観に一定数の評価があり、カンヌ国際映画祭でもパルムドール賞を受賞した「白いリボン」「愛、アムール」の鬼才M.ハネケがいる。

だから、ハネケ監督の胸くそ悪い「ベニーズ・ビデオ」「ファニー・ゲーム」などを見ている分、ザイドルの描いた狂気の背景はそこから来ているんだろうな、原点こそハネケなんだろうなと思うのだ。本作を見ている、非常に愛を求める人物たちが出てくる。それは登場人物が分断され、孤独を味わっているからだ。子供を交通事故で亡くしてしまったギリシア人の夫婦に始まり、妻を亡くした老人だったり、ヒッチハイクをしている女だったり、そういった人生的に不運だった人々の苛立ちなどを事細かに表現している…変態と言うキーワードを使って…。だから愛ではなく、憎しみによって繋がれているキャラクターたちの内幕がなぜか我々観客には伝わってくるのだ。いわば、肯定されると落ち着く人々がここには存在する。しかしながら、現代社会では直接に人間同士がつながるのは難しい。たいていはフィルターを通してつながるのがSNSの発達により多くなったからだ。

そもそもこの映画を見ていると最初頭の中が?になる。離婚しているのに、なんでおんなじ家に暮らしているんだと言うツッコミから始まり、なんで相手の目の前で他の恋人を連れて来て良い関係を見せびらかしたり、わざわざ物音を立てイライラさせたり、まるで互いに無関心でありつつ挑発しあっているかのような、そのワンシーンを見ていると、一体どういう世界に生きているんだと思ってしまう。そうか、人間の感情と言うのは愛ではなく憎しみから始まるものなのかと思った次第だ。そうすると映画全体のストーリーに辻褄が出てくる。日常と非日常が取り合隣り合わせになっているかのような日常風景にも、このような仕組みがあったんだろうなと思う。要するに"愛"対"憎"の関係性だ。だからその2つが戦わないように、キャラクターは必死で人間的なつながりを求めてくる。良い方のものが手に入らなければ、悪い方のもので繋がるしかないと言うような感じにだ。

この映画面白い事に、かなり皮肉が混じっている。ウィーン郊外の中産階級が住む宅地が舞台となっているが、外見はとても高級で美しく、富裕層が住むような場所になっているにもかかわらず、家の中を開けてみれば、人間同士ギクシャクしており、精神面は崩壊している。外見は美しくも、内面は汚く崩壊状態を描いているのだ。人間同士がどのように向かい合わせで生活していけるかと言うのを突きつけているような気がする。それに、最初から崩壊しているが、そこに1つのクッションがあり、それで隠れていたものが、そのクッションがなくなったことにより、むき出しにされてしまったと言う事実も明らかにされている。そのクッションというのがギリシャ夫婦で例えるなら、死んでしまった子供である。子供が生きていた時は、その子供がクッション代りになり、お互いの不満や孤独感が隠されていたが、そのクッション(子供)が死んでしまって、その見え隠れしていた得体の知れない感情がむき出しになったと言える。非常にうまいなと思う。

さて、ここでキャラクターについて少しばかり話したいのだが、まずはヒッチハイクをする女アナに付いて。彼女はスーパーマーケットの駐車場をうろついては、見知らぬ人でも話をかけ、かかりやすい病気や人気のある体位を話したりして、どこかに向かうわけでもなく、1日中親指を立ててヒッチハイクを繰り返し、ドライバーにペラペラとトークするので、運転手が徐々に怒りを見せてくるわけであって、彼女はみんなに頭がおかしいと思われてしまうのだ。それにキャミソール姿で、いかにも脱力感ハンパない腐女子的な、もはや人生半分諦めているかのような、程良い肉体付で、ぼさぼさの髪、笑っては舌を大きく口から出したり、インパクトのあるビジュアルが脳裏に焼きついた。続いて、警察システムのセールスマンをやっているフルビィに付いてだ。汗かきなのか知らないが、基本的に汗ばかりをかきながら、車で近辺の家々を回って、強盗や空き巣にあう危険性を説いている。突然の顧客からの訴えで、車に傷をつけた犯人を捕まえなくてはいけない羽目に陥ってしまい、獲物を探していた彼は、アナに目をつけてしまう悪役である。あの猛暑の中、腕まくりをしたシャツを着て、その上にベストを羽織って暑苦しいファッションでカバンを持つ後ろ姿が印象的だ。

続いてまだ若くて傷つきやすい美しい娘のクラウディアについて。ハンサムで、早い車を乗り回すのが好きなマリオと言う彼氏がいて、2人は一緒にディスコに出かけるが、他の男の注目を集めるクラウディアに男は嫉妬を爆発させ、暴力を振る。愛しさが嫉妬心に火をつけ、嫉妬が暴力を駆り立てる。そういった繰り返しがなされる運命にいる、可哀想な女の子である。ブロンドで華奢なデコルテが印象的だった。そして次に、ギリシア人の夫婦(元)について。ギリシア人の男とその元妻には子供がいたんだけど、事故で亡くなっちゃって、2人は既に離婚していながらも、なぜだか同じ家に住み続けている。別々の生活を一戸建ての中でしている。凡人からすればありえない光景だが、それが日常である。奥さんの方はセックスクラブに通って、夫は所在なげに家の中をうろつき、空っぽのプールでスカッシュ。そしてお互いに相手が家を出て行くのを待っているのだ。しかし、元妻の愛人がこの家にやってきてくつろぎ始めると2人の対立がついに頂点に達する。あのテニスボールを叩きつけるシーンやコートでテニスをする場面などは印象的。

そして唯一の家族である愛犬と暮らす老人のヴァルターについて。彼はスーパーで買った品物の重さをいちいち計り直し、表示と違うと苦情を言いに行く超絶クレイマーである。そして、隣人から聞こえてくる口論をかき消すために電気芝刈り機をつけっぱなしにして、雑音を出し続けたりする。いわば典型的な嫌がらせ爺。50回目の結婚記念日に特別の秘密のお祝いをするが、一緒にいる相手は妻ではない。その眼鏡をかけた野暮ったい髪型のおばさんが、ふっくらと出たお腹を出して、白いパンティーとブラジャーをつけた小錦のようなふくよかな体を老人がソファーに座りながら眺めているシーンは印象的だ。そして、化粧をして下着姿で年下の恋人ヴィケールを待っている女性教師について。彼女は恋人を待っているが、その彼がラッキーと言う男友達を連れて家にやってくる。酒とゲームと歌に浮かれた一夜は、遊びが行き過ぎて彼女への暴力で終わる。次の朝、ラッキーは彼女の家に戻ってきて後悔を口にし、辱められた彼女のために復讐を提案する。女性教師が1人椅子に座って化粧台の鏡を眺めるショットが印象的だ。

アナ役の女優だけが唯一のプロ役者で、かなり多いセリフを言うので、なるほど、確かにプロの役者なのかもしれないと思った。どっかで途中アドリブ言ってるのかもしれないけど、とにかくずっと喋っていて見てるこっちまでイライラしてくる。それとラッキーたちがテキーラを飲む場面も強烈に胸くそ悪い。あんな不条理なゲームやったら確実に負けてしまう。あのギリシャ夫婦が雨の中、真っ赤に塗装されたブランコに乗って揺られて固定ショットで幕を閉じるのも変な印象を残すし、アナが車を傷つけられた張本人たちにいた振られる下りも強烈。

最後に余談話だが、監督は真夏の猛暑で温度を上げるために毎度毎度気温を確かめていたそうだ。暖房器具を用意して俳優たちは冬の毛布にくるまって9列を食べていたそうだ。それと、空に雲がある限り私は撮影をしないと宣言していて周りのスタッフを困らせたそうだ。絶望的に何時間もみんな空を眺めていたと言う逸話がスタッフから言われていた。それから2羽が常に同じに見えるように、端にいつも水をやったり植え替えたりしていたそうだ。監督はこのシーンの順番通りに撮影することに固執していたそうだ。
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