GodSpeed楓

回路のGodSpeed楓のレビュー・感想・評価

回路(2000年製作の映画)
3.4
2001年公開、"死"という概念そのものが侵略してくるSFホラー。分かりやすく"ホラー!"というわけでは決してなく、静かに世界が死に溢れていく独特なテンポの作品。FAXで送られてくる散文詩のようなメッセージ、壁に大量に書かれた「助けて」、延々とTVで繰り返される無機質な訃報、次々に消えていく世界中の人々…。一瞬で把握できない情報量が恐怖に変わり、ジワジワと脳を侵食していく。壁に「助けて」と書かれすぎているせいなのか、ゲシュタルト崩壊を起こして「タスケテケスタ」に見えてくるほどだ。(見えない)

2000年代の映画にも関わらず「ちょっと見てくんない?田口のフロッピー」という再序盤の台詞から時代を感じる。また、20代前半の麻生久美子も小雪も薄着姿を披露してくれるのが有難い。舞台が夏場なのが嬉しい限りだ。更には後半に、主観視点で小雪にハグ&キスされる気分になれるという非常に魅力的な作品である。10年くらい前に、カメラ目線で新垣結衣が「イキイキしてる君が、好きだ!」と言うCMを観た時に「おいおい、俺の事を好きだって?全国ネットで恥ずかしい奴だな」という
恥ずかしい奴になってしまった事があるのをふと思い出した。
※この段落は全て余談なので忘れて下さい。

序盤は爽やかエロを感じるパイセンだった小雪も、後半に向かうにつれて「ケイゾク/映画」の時のような、不気味さ溢れる思わせぶりな事しか言わないようになってしまう。彼女においては溢れてきた"死"に囚われてしまう前から、そもそも"死"への憧憬を持っていたのだが、「一緒に?」と嘲笑した最期の言葉は非常に印象深い。彼女からしてみれば、これまでの加藤晴彦の発言から、覚悟を感じられなかった、という事なのだろうか。

どんどん世界に死が溢れていき、人がどんどん消えていく。実際に概念として死は必ず訪れるものなので、逃れようがないのは至極当然だが、無意識に人類は死を恐れているし、理不尽な存在によってもたらされた死は当然看過できるものではない。こんなものは"死そのもの"による一方的な侵略である。しかし、友達が黒い灰になって風に攫われるシーンが見れるのは貴重だ。あんなの人の死に方じゃありませんよ!

ここまで人のいない街というのを見ると「ドラえもん/のび太の鉄人兵団」で鏡の中の世界に行くのを思い出す。スーパーで好きなだけ買い物をして、街を闊歩する楽しさを夢見たものだ。日本を中心に世界に広がっていると考えているのだろうか、唐突に登場した役所広司曰く、南米あたりで生存者を探すようだ。しかし「シティ・オブ・ゴッド」や「ボーダーライン」等の映画で得た偏見に満ちた知識から鑑みると、あの治安の悪さでは生存者を見つけるのは絶望的に思える。

インダストリアル・ミュージックみたいなトラックをBGMに添えて、淡々とポエムのように「死の恐怖」を伝えようとしてくる幽霊が、平沢進みたいなイキフン(ふんいき)を醸し出しているが、一体こいつは何だったのだろうか?どうして、誰によって封じられていたのかも分からないし、死んではみたものの、孤独で寂しいから誰も彼もに死をまき散らしたのだろうか。

最初からラストまで、淡々と事が進んでいき、あっという間に全てが飲み込まれてしまう。電話回線からの侵入、開かずの間、赤いテープの女など、各々の要素の繋がりや描写が希薄に感じる。しかし、得てして自分が理解したいように理解してしまうのが脳による錯覚であるため、断片的なそれらの隙間を脳が勝手に繋ぎ合わせて、理解した気になってしまってるのかもしれない。

だから僕は声を大にして、「なんだか、よくわかんねぇ映画だ」と言う事にする。
GodSpeed楓

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