Kuuta

アパートの鍵貸しますのKuutaのレビュー・感想・評価

アパートの鍵貸します(1960年製作の映画)
4.2
American Film Instituteの選んだ「アメリカ映画ベスト100(2007年版)」を、少しずつ見てきたのですが、これで100本終わりました。長かった。

定番ばかり並んでいるので、昔のアメリカ映画を何から見て良いか分からない、という方は参考になるかと思います。

▽ワイルダーの作家性=外から見たアメリカ
ワイルダー作品は「ウェルメイドなハリウッド映画」の代表格とされるが、彼自身はアメリカ人ではなく、ユダヤ系の移民。初期はアメリカ社会の歪みをノワールとして描き出し、後期はそれをコメディとして取り込む。

アウトサイダーとしての批評的目線。アメリカンニューシネマより前の時代に、アメリカ礼賛に終わらない一種の「暗さ」を忍ばせた映画を撮り続けた。ハリウッド女優の栄枯盛衰を「呪い」のように描いた「サンセット大通り」や、ヘイズコードに喧嘩を売った結果、女装も同性愛も肯定する当時としては型破りなコメディとなった「お熱いのがお好き」など、枚挙に暇がない。

▽資本主義の歯車
そんな彼の最高傑作とされるのが、この「アパートの鍵貸します」だ。ほぼ全編がセットで撮影され、構図から演技から、見事に統御された作品となっている。

会社の上司に自室アパートを「ヤリ部屋」として貸し出し、出世のために評価を集めているバド(ジャック・レモン)。自分の生活を切り売りし、部屋に帰れない事もしばしばだ。彼は会社のエレベーターガールのフラン(シャーリー・マクレーン)に恋をしているが、あるきっかけで彼女の秘密を知ってしまう。

自殺未遂や婚前交渉を盛り込んだアンチヘイズコードな脚本には、アメリカの行き過ぎた資本主義や、歪んだ縦社会への批判が込められている。

冒頭で矢継ぎ早に語られる「数字の支配」=資本主義。昇進と降格ばかりが問題となる。「ニューヨークの住民が全員横に並んだらパキスタンまで行く」とのナレーションの後、この土地に人が収まっているのは「上下があるからだ」と言わんばかりに高いビルを映し出す。

そのビルで働くバドは不倫の場所を提供し、人付き合いで昇進する。鍵を渡すのは、自分の存在を明け渡す事と等しい。人と人の間を取り持つばかりの存在=エレベーターガールのフランと似た者同士。有名な巨大なオフィスのセットが、彼が大企業の歯車に過ぎない事を示す。
(見事な美術を手掛けたのは「天井桟敷の人々」でセットを作ったアレクサンドル・トローネル)

バドの、深夜に帰宅してレトルト食品をオーブンに放り込む感じ、ソファで映画を見始めて一人で乾杯という感じ、俺やんと思って見ていた。

▽自ら走り出す
フランは彼女の上司を「He's a taker(収奪者)」と呼び「同じことを繰り返すのね」と涙する。主体性のなかったバドは、フランのために行動し始める。「僕は人の波間に漂っていたが、君という砂浜を見つけた」。

利益至上主義から逸脱した、無償の施し。その象徴としてクリスマスイブのバーに、「カストロのエピソード」と共にサンタクロースが登場する(公開前年のキューバ革命が脚本に影響を与えた可能性。正直今回、「左翼映画だな」という印象は少なからず持った)。

クリスマス当日。バドはフランの体調が悪いため、「予約」していた上司を初めて追い返す。会社に反旗を翻し、損得勘定ではない施しに身を捧げるこの決定的なシーンで、バドはシェービングクリームを付けた白髭のサンタクロースになっている。

バドの想いに呼応し、クライマックスのフランが自らの足で階段を駆け上がる感動。人の移動を省略し続けてきたこの映画が、ニューヨークを走るフランの横顔を捉えるカタルシスが素晴らしかった。

▽人間たれ
フランは中盤、自殺未遂を起こして昏睡状態となる。

「君は誰だ」「君はどこにいるんだ」「絶対に眠るんじゃない」。駆け付けた隣人の医者が、ビンタしながら問いただす。資本主義に殺されかかったフランを救う彼は、ユダヤ系の名前を持ち、その拙い英語からもヨーロッパからの移民である事が示唆される。彼はフランに肩を貸し、バドと共に「自分で歩く」練習を繰り返す。

彼は終盤、会社との関係に悩むバドに「人間でいろ!」と一喝する。ドイツ語の「Mensch」という単語を使ってアメリカ社会に警鐘を鳴らすこの医者は、ワイルダー自身の投影に見える。

ナチスから亡命し、母親を収容所で殺された経験を持つ彼の「権力の『物』になるな」という怒り。それが「典型的なハリウッド映画」とされる今作に現れているのが面白い。

▽ルビッチ的軽さ
バドは昇進して何をしたいのかさっぱり分からない。人間味はあるがどこか表面的なキャラクター(フランの保険情報を見て、出身や家族構成、病歴まで知り尽くしている。キモい、というか犯罪では)。

ただただフランへの恋を原動力に突っ走り、それだけで話が動いてしまう。何となく良いところに収まるが、エンディング後に幸せが永遠に続く感じもしない。この軽さがワイルダーらしいし、師匠のルビッチ的でもある。

(行き過ぎた資本主義を否定した先で、ささやかな数字の遊びに落ち着く。男運の悪さの表れなのか、フランはカードゲームで負け続ける。「恋は成り行き」)

何重にも意味が込められた割れた鏡。見事な演出だが、セリフでの説明は一切ない。これもルビッチっぽい。

男女で就ける職業は明確に色分けされ、靴磨きをする黒人も一瞬登場する。どれもアメリカの因習への批判ではあるのだろうが、セクハラやパワハラが「人生の苦しみの一側面」といった体で軽く描かれるのが少し辛かった。84点。
Kuuta

Kuuta