オルキリア元ちきーた

イージー★ライダーのオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

イージー★ライダー(1969年製作の映画)
3.7
簡単なレビューしか書いてなかったので再考察。

アメリカと言えばベトナム戦争
ベトナム戦争と言えばアメリカ

というくらいに、アメリカにおいてベトナム戦争の落とした影は深くて暗い。
それは日本の広島長崎の原爆くらい
学生運動の日本赤軍の一連の事件くらい
国民にとって「忘れてはならない歴史」として刻まれているのだろう。
泥沼化した戦争に若者達が駆り出され
大量のの兵器と人命とカネをつぎ込んで
戦争というものが
正義という名の元に、どれだけ犠牲を出しても、それでも「常勝大国アメリカ」が勝てなかった汚点でもあり、
今までのアメリカの常識がひっくり返されてしまった現実を、初めて体験したとも言える。

若者達は教え込まれた「素晴らしい国」という思想に疑問を持ち、新しい思想を模索していたのが1960年代のヒッピームーブメントで、兵士のヘアスタイルであるIBカットを否定して長髪になり、武器ではなく芸術や音楽を、保守的な生活より自由を、といった流れが起こる。
その思想は世界中に伝播され「既存のメインのカルチャー」に対して「カウンターカルチャー」として定着していく流れが起こった。
日本でもフォークソングやヒッピーファッションが持て囃され流行するが
人が集まり大きなブームが起こると、必ず人間はそれに乗っかって「良からぬこと」を考えずにはいられない生き物でもある。

過激な思想に偏ってゲリラ化する集団が現れたり、自由を履き違えて犯罪が横行し出すと、文化というのは、悪習と認識され人心を離れていくものだ。

「カウンターカルチャー」とは
そもそもが長年の工夫や紆余曲折から生まれた「保守的な社会構造や伝統文化」に対する「反発」でしかなく、持続性を求めること自体がその思想に反しているので、結局は一時的な熱病の様に、ピークを過ぎれば終焉を運命付けられている。

1950年代のアメリカの映画文化は、政治の共産主義思想弾圧(いわゆる赤狩り)の影響で、政治的な思惑によって作品の表現に色々な制限をつけ、自由な思想さえ許さない時期があり、その赤狩り思想に乗っかったのは、後に大統領になる俳優ロナルド・レーガンやウォルト・ディズニーの作品で、国から「正しい映画」とお墨付きをもらうことで成功していった背景がある。
しかしそれは政治介入による映画文化の衰退ともいえる流れで、ハリウッドの権力の弱体化に繋がる。

アメリカン・ニューシネマというブームも、またその内容も、やはり当時の「正しい映画文化」に対する抵抗であり、ヨーロッパの映画文化の流入や、また日本なら大島渚や長谷川和彦などの作品にもこのニューシネマの影響を受けていると言える。

本作は、そういったアメリカのカウンターカルチャーの瞬間的な煌きと、その後にやってくる終焉を、アメリカの自由を象徴するバイクに乗った若者のロードムービーとして、とてもよく表現されている「お手本」の様な作品だと思う。

「アンチヒーロー」や「アンチハッピーエンド」という命題を掲げ、自由への刹那的な疾走を描くのがニューシネマの定番になっていく。

しかし、その刹那的な煌きの中には、糸が切れた凧の様な危うさや儚さも同時に描かれる。
ドラックによって朦朧とした描写の中で、ヒッピーに憧れていた少女は「本当は子供が産みたかった」と呟き、本当の幸せとは?を求め彷徨う演出があったり
楽しいはずのヒッピーコミューンも、深刻な食料不足に陥って理想を追い求めるがあまりに現実逃避に終始する様子も描写する。
憧れだけで突っ走る若者が辿り着く先の暗闇までを暗示する結末。

この作品だけでなく、アメリカのカウンターカルチャーそのものが、やがて訪れる「祭りの終焉を」内包している。