イージー★ライダーの作品情報・感想・評価

「イージー★ライダー」に投稿された感想・評価

もう二度と見たくない 彼らが何をしたって言うんだ
あさ

あさの感想・評価

4.4
終わり方が好きでもあり、
怒りが湧き上がった
アメリカthe 60s
お父さんのバイブル的映画

カルチャーの面白さを痛感する。
今を生きる一若者目線から見ても、とても原始的であり、恐ろしいほどに"自由"
ジャックニコルソンの言葉が哲学的

60年代って本当に激動。
ヒッピー、ベトナム戦争、ちょうどここ最近触れていたものが詰め込まれた映画
「ニューシネマ」と呼ばれるけど、今見てもすごい新鮮だった
いい映画。
ジーナ

ジーナの感想・評価

1.0
延々とバイクで町を疾走し、道中で遊ぶ。
それだけ。
バイクで友と2人で爆走したくなった

101(28)
yoshi

yoshiの感想・評価

4.3
この映画は多くの人に名作と評価されるが、観た人がこの映画に共感する共通点は自由への渇望だろう。しかし、さらに深く理解するには、重要な要素がある。それはバイクに乗ったことがあるかどうかだ。私のようなバイク乗りにとって、この映画は決して古臭く無い。未だに起こり得る事ばかりが描かれるからだ。

ゆえにまず、バイクのことを語らなくてはならない。
この映画は好きだが、バイクには絶対乗りたくないという人がいる。
実際にそういう人と会ったことが何度もある。

バイク嫌いの人が言うデメリットは湯水の如く出て来る。

事故の死亡率は車の3倍。
不安定で、車より事故を起こしやすい。
荷物はそんなに積めない。
ヘルメットが重くて首を痛める。
ヘルメットで髪が崩れる。頭が蒸れる。
走行中、雨が降ればずぶ濡れになる。
風を受け、冬の寒さは尋常じゃない。
夏の直射日光、アスファルトの照り返し、暑さは尋常じゃない。
目的地にそれほど早く着くわけでもない。
盗難が多い。
エンジン音がうるさいと言われる。
排気ガスで服や身体が汚れる。
メンテナンスが大変だ。
ファッションから、バイクに乗ってる人は怖い…etc.

「そんなもんに何で乗るの?」
よく言われることである。
既に、この映画に登場するアメリカの保守的な田舎者と同じくらいの「偏見」の嵐をよく聞く。
実際、職場でもバイク所有者は私一人である。

上記のバイクのデメリットは当たっている。その全てを経験している。
かつては反論した。
「初めて自転車に乗った時のこと、遠くまでいったことを覚えていますか?」…と。
しかし、それも最近通用しなくなった。
何と自転車に乗ったことがない、通学すらバスか親の車でずっと通したという若い同僚が出て来たからだ。

バイクに乗るメリットは少ない。

燃費が良く経済性に優れていること。
渋滞時に路肩をすり抜けられること。
車庫証明が要らないこと。
すぐ駐車できること。

交友関係が広がるとも言えるが…。やはり、バイクは道楽であるがゆえ、同じ趣味を持っている者同士であれば、どこから来たの?と声をかけ、仲良くなりやすい。
しかしそれはマイノリティーゆえのお互いへの憐れみであり、黒人がお互いを「ブラザー」と呼ぶことと何ら変わりない。

…くらいしか実用的なメリットはない。

それでもバイクに乗る理由…。
それは「爽快だから❗️」の一言でしかない。

景色がダイレクトに目に飛び込んでくる。
車と違って、ピラーやバックミラーなど視界を遮る邪魔なものが全くないので、大パノラマの景色がダイレクトに目に飛び込んでくる。

都市の電車通勤の人混みからの解放。
体を風に晒すため、自然と一体化し、四季や環境に敏感になる。
湿度や風向きの変化で、雨を予知できたりもする。

自身で運転していることも相まって、「自由にどこへでも行ける!」という感覚は、バイクでしか味わえない醍醐味である。

さて、やっと映画の話です。

この映画では、前半にそのバイクの爽快さと自由を十二分に疑似体験として味わう事が出来る。
まず、オープニングが本当に格好いい。

メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(ニックネームはキャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレーダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるルイジアナ州ニューオリンズ目指して旅に出る。

突き抜ける青空、果てしない大地、バイクが2台、男が2人。
曲はステッペンウルフの「Born To Be Wild(ワイルドで行こう)」
そしてタイトル「EASY RIDER」が出る。

最高のオープニングだ。
麻薬犯罪が、社会への若者の反発を。
遊びに行こうぜという気楽な旅立ちが自由を。
アメリカのフロンティア精神の象徴である馬をバイクに置き換える。

「RIDER」は「バイク乗り」また「乗馬」を表す。「EASY」は「気楽な」「簡単な」という形容詞。

タイトルの意味は
「お気楽なバイク乗り」
「にわかバイク乗り」
「なんちゃってカーボーイ」…などと訳すことが出来る。
主役2人の行く末を暗示していて、何と皮肉にあふれていることか。

本作は前半、一貫して最高の景色と最高の音楽、そしてバイクに乗ることの爽快さを描き続ける。
しかも、極めてダラダラと…。

何の展開もなし。トラブルも、オチすらない。良い音楽と美しい風景が流れるPVのようだ。
ここで、この映画にのめり込めるかどうかが分かれる。

風とエンジン音に遮られるため、当たり前だが、バイク乗車シーンでは会話すら一切無い。

のめり込めない人は、旅に目的と刺激を求める人だろう。
おそらくバイクに乗らない多くの人に、前半は退屈に感じるだろう。
しかし、私達バイク乗りには、それがいい。親近感溢れるシーンばかりなのだ。

特にビリーがふざけて行う、手放し走行。
アレはバイク乗りなら直線道路で、必ず一度はやったことがあるはず。
スピードに乗ったバイクはブレないから出来る技だ。

のめり込める人は、旅に日常からの解放を求める人だろう。

当時「自由」を体現する人たちであったいわゆる「ヒッピー」が解放的なバイクに乗るのだから、二重の意味で解放感を感じるのだ。

後者の誰もが抱く感想は「やっぱり自由っていいなぁ…」に違いない。
私もそう思った1人だ。

そんな、にわかバイク乗りの元々自由気ままなヒッピーが、つまらない日常(犯罪行為)から解放され、さらに自由に生きようとするのだが…

この映画が「名作」と呼ばれる所以は、最終的には自由を恐れる保守的な大衆の無意識な差別によって、殺されてしまう所にある。

彼らは、麻薬取引に手を染め大金を得た歴とした「犯罪者」であるにも関わらず、その死の原因は、黒人差別にも似た「自由の排除」だ。

それは理屈も主義もモラルも無い、あるいは非常に曖昧で見えづらいものだ。
少なくとも一人一人の個人は明確に意識していないにも関わらず、潜在意識として確実に存在し、時に集団の場では大きな力となる。
そんな、よく分からない力に殺されるのである。

そこに時代や国は関係ないと断言する。

長期の休みに国外旅行でバカンスを楽しむ人をうらやましいと思ったことがあるはずだ。
私たちバイク乗りは基本的にたった1人で旅するため、旅先で仕事中の人や家族連れから羨望や妬みに似た眼差しを受けることがある。

「この道楽者。たった1人で気楽なもんだ。こちとら休日も働いているのに。
家族サービスしていると言うのに。」
そんな声が、視線から聞こえてくるのだ。

映画はまず、前半ひたすらに主人公たちの心地よい旅の様子を描く。

ヒッピーの集落に滞在するシーンがある。
私たちバイク乗りもユースホステルやライダーズハウスなどバイク乗りのコミューンがある。同じ趣味の仲間同士、そこへ行けば何かが分かち合える。
ただ所詮は他人同士。
束の間の安心感を共有するだけ。
バイク乗りには、良くあることだ。

中盤、弁護士が仲間入りし、彼らに自由を恐れる大衆の無意識を説く。

直後、野宿の間に、理不尽に襲われる主人公ら。ここで弁護士は死んでしまう。
彼は、ワイアットやビリーのようなヒッピーではないと言うのに…。

貴方は野宿をしたことがあるだろうか?
キャンプ場ですら焚き火を怒られ、河川敷やサービスエリアでテントを張れば、迷惑だといわれ、寝ていると誰かに覗かれる。
身の危険を感じるのだ。
それもバイク乗りには良くあること。

そして、後半。
娼婦を買った主人公らは、あてもなく謝肉祭を満喫し、なんと墓場で覚せい剤漬けのパーティーを催してしまう。

ここでの描写は、執拗で、かつ恐い。
先人への敬意や人間としての社会的モラルからも自由になり、欲望のまま乱れる彼ら。

ワイアットが彫像に抱きついて流す涙は、社会から外れてしまった後悔の涙にも見える。

自由とは本当に幸せなのか?という疑問が生まれる。

私達は帰るべき場所があるから、安心して旅が出来るのだと痛感する。

帰るべき場所のない不安。
実家から離れて一人暮らしをしていた青春時代。何も成し遂げていないことは昭和の人間には少なからず恐怖だった。何も成果なく実家には戻れなかった。

両親が死に空き家となった実家を売却した今、私の帰るべき場所は妻の元だけだ。
土地という故郷はない。

自由と引き換えに失った故郷。
実家から離れて暮らす人は少なからず感じたことがある思いのはず。

再見して、あのワイアットの涙に親近感を覚えた。安住の地がある人にはわからないかもしれない。

誰も自分を知らない旅の地で、故郷や現在の自分の境遇を顧みて、寂しさや切なさに酒を飲みながら涙したことがあるのは私だけではないと思うのだが…。

自由という立場は自己責任が常につきまとうものなのだ。
全ての原因は自分にある。

そして、ラスト。
これまでのようにただハーレーで道を行く彼らは、通りすがりの名も無き一市民に撃たれ、死んでしまう。

麻薬売買や墓場での破廉恥なパーティーなど、犯罪者として吊し上げられる理由は存在するにも関わらず、実際に彼らを死に至らしめたのは、大衆が持つ「自由への恐怖」…。

主人公は善人ではない。
しかし殺されるほどの悪人ではない。
その立場は私達一般人と麻薬以外、大差は無い。

しかし善人を自称する保守的な人々の中にある確かな差別と自分にないものへの羨望が恐ろしいのだ。

それはベトナム戦争、黒人解放運動の脅威に晒される60年代の保守的白人なら尚更持っていたものかもしれない。

しかし私達バイク乗りは、現在でもそんな大衆の自由への恐怖と羨望を身近に感じている。
先述したように、通りすがりに白い目で見られるのはもちろん、最近良く報道される「煽り運転」による幅寄せや危険な車間距離には昔から、そして今でも晒されている。

実際、私の知り合いのバイク乗りはトラックの無茶な幅寄せで死んだ。

車社会という大勢にとっては、バイクは目障りで仕方ないものなのだ。

それもバイク乗りはしばしば感じている。

普通に見える人間が何を考えているのか、それが一番恐ろしいと教えてくれる映画だ。
動機の見えぬ大勢とは、かくも恐ろしい。

様々な感想の中、炎上するバイクを映し出し、本作は幕を閉じる。

この映画を古臭いと感じる人々がいる。
あの時代だからと遠い目をする人がいる。

しかし差別と自由への羨望は、国籍や時代に関係なく存在することを私達バイク乗りは知っている。

風や自然の呼吸と同様に、私達バイク乗りは全身で、文字通り肌で感じている。

中学生の頃、初めてこの映画を観た。
この映画のファッションに憧れて、バイクに乗った訳ではない。

物理的にどこか遠くへ行きたい。ここから解放されたいと思っていた。
自由が欲しかった。
昭和の当時は二輪免許は16歳で取得出来た。
いち早く手っ取り早く手に入れることの出来る自由の翼が、バイクだった。
数年乗らない時期もあったが、今だにバイクに乗り続けている。
青春時代のあの頃に感じた自由が、全て自己責任であることがスリルであり、心地良かった。

しかし自由を敵対視する人は、日本にもいる。なぜならば日本は、先祖代々の家や土地、家督を守ることを今だ美徳としているからだ。
自由な者、未知な者を恐れ、穢れの感情を抱く保守的な人々はアメリカも日本も変わらない。

土地、慣習、縛られる人の中にこそ、自由への恐怖と羨望は存在する。

「書を捨て、街に出よ」と、かつて寺山修司は言った。
本やネットでは本当のことは体験出来ないし、分からない。
世の中には色んな人間が居る。まだ見ぬ美しいものが沢山ある。しかし良いことばかりではない。
現実を知るには、旅に出ろ❗️経験をしろ❗️と、映画の無情なエンディングの奥から、誰かが語りかけてくる。

それがこの映画が「名作」と呼ばれる本当の所以だと思う。

この映画は敗北を美しく描いた所謂アメリカン・ニューシネマという括り以前に、旅で知り得る現実の普遍性を描いたロードムービーの傑作なのである。

私達バイク乗りは、誰もがそれを知っている。
やまち

やまちの感想・評価

3.8
自由と夢は無知で暴力的な権力に撃ち抜かれる 結局今も同じような諦念に満ち溢れている世界
LSDシーンよき そして邦題の★軽さ★とは印象が違うんじゃないだろうか
憧花火

憧花火の感想・評価

3.8
自由を説くのと自由でいるのは違う。

10代の頃、カッコイイとはこういうことって自分の中で定義付けた映画。
見ているはずだがほとんど忘れていた。長いPVと言うと言い過ぎか。若い連中が作ったb級映画といった趣。若き日のジャック・ニコルソンにはびっくり。
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