あなぐらむ

プレデターのあなぐらむのレビュー・感想・評価

プレデター(1987年製作の映画)
5.0
ムービープラスで放送してたので久々に(でもない)鑑賞。玄田さんの吹替で見たかったとこだけど、字幕版でした。

アラン・シルヴェストリのカッコいい劇伴でヘリ到着から始まるこの作品、あちらの作劇に忠実に三幕構成である事を追認した。
前段はダッチ達による表向きの任務、ゲリラによる要人誘拐の救出行。ビリーの直感が危険と知らせるも、荒くれ達は一気呵成にゲリラ本拠へ。ここは「不可能ミッション攻略もの」の味わいになっている。チームの面々のキャラ説明と「こいつらこんなに強いんだぜ」な仕事ぶりがどっと描かれる訳だが、肝心の人質達が既に死んでいる所から、第二幕「一人一人血祭りにあげられるホラーもの」へと変転していく。前段で屈強な面々が描かれているので、この呆気なく、しかも残虐に殺されていくチームの件が余計に恐ろしく感じられる。見えない敵の描写、結構がっつり描かれる皮剥ぎ死体に現地の女・アンナのラテン語が拍車をかけ、同時にいくつも死地を潜り抜けてきた仲間を想う面々と、常に冷静であるリーダー・ダッチの人望がひしひしと伝わる。
面白い事に(面白くないか)、プレデターに対して悪態をついた奴の順に血祭りに合う。下卑た言葉を批難されるように。

さてディロンが死に、ビリーの雄叫びが聴こえた後はいよいよ、決戦の場となる。ダッチは滝壺に落ちて一旦、お浄めをするのである。ここで興味深いのは、近代武器を持つのは向こう側で、ダッチはまさにビリーと同じくネイティブ・アメリカンよろしく原始的な生存本能の導きによって、罠をしかけ、戦いの場を整えて行く。恐怖する者から、立ち向かう者へ。ここで攻守が逆転しているのだ。そう、「血が出るなら殺せるはずだ」理論である。

前半でふった赤外線スコープやそれぞれのギミックが、ここではダッチの反撃の武器になっていく。観客はこれがホラー映画ではなく、アクション映画であると再認識する。プレデターの音声コピー能力が、このクライマックスでも巧く反転した使われ方をする。
かくしてダッチは何とか勝利し、救出ヘリが飛び去るとともにまた、アラン・シルヴェストリのテーマ曲が反復される。序破急の見事な例である。

マクティアナンの演出は非常に流麗で、「ダイ・ハード」と同じく台詞が画を呼び込み、画が次の展開を呼び込む極めてテンポ良く歯切れのよいカッティングで、まるで飲み口の美味いビールを飲むようにくいくいと観客を楽しませていく。そこが密林である事を忘れてしまうような素晴しい横移動、キャラクターのほふく前進に沿ったかのような縦や斜めの方向へのカメラアイの動き。「狩人」という言葉と共に「頭上」がぱっと開けて見えるシーンの見事さ。極限状況ものとモンスターものを合成した、この新しい映画の革新性。もう35年も前の映画なんだぜ? すげぇじゃん。

最新作で漸くネイティブ・アメリカンの物語となったプレデターシリーズは、元々、知恵と肉体で大いなる未知の者に立ち向かう、アメリカ大陸の人々の根源的な物語なのだ。