Azuという名のブシェミ夫人

A.I.のAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

A.I.(2001年製作の映画)
4.0
公開時、劇場へ観に行きました。
最近スターチャンネルで繰り返し放送されているものだから、久しぶりに吹き替え版と字幕版で2回も観てしまった。
世界観がとても好きな映画です。

ジゴロなセックスロボット、ジョー役のジュード・ロウが最強にカッコイイ黄金期♡
彼の人間離れした美しい顔立ちが、ロボットであることに妙な説得力を生みます。
首をクイッとさせる動きとユニークで軽やかな足取り、彼の演じた役の中で一番好きかもしれない。
そして、名子役ハーレイ・ジョエル・オスメント君!
ロボットらしさと健気な子供らしさの両方をとても上手に演じていて、彼あっての作品と言ってもいいと思う。
その横をトコトコついていくスーパートイのテディちゃん♡
フワフワ可愛い熊ちゃんなのに声はオッサン。
ニャンちゅう的衝撃。とても愛らしいです♡

この『愛を持ったロボットの創造』というテーマは、これから人間が直面していく問題ですね。
愛を与えてくれるロボットに対し、人も同様に愛を注ぐことができるか。
本当にロボットは人を愛しているのか。
鑑賞当時、友人達は終わり方にモヤモヤして不満そうでしたが、私はあれこれと考えては悶々とすることが好きな人間なので一人満ち足りた顔をしていました。笑
ただ無性に切ない気持ちになったのは、私がデイビッドや他のロボットと人間の間に愛を感じたからなのか。
それとも、それが幻であったと感じたからなのか。

そもそも人の感情自体が未だに解明など出来ていないし、誰かが解明した!と言っても結局それを受け取る側のそれこそ感情次第では納得など出来ないはずですよね。
脳の働きが全て?プログラミングが全て?
誰にも説明のつかない“愛”がそこに存在することを信じることが出来る。
目の前の現実だけでなく、未来に希望を見出すことが出来る。
それが出来たなら、人もロボットも似たようなものではないでしょうか。
デイビッドは不確かな存在であるブルーフェアリーに出逢うこと、本物の子供になってママに心から愛されることを一心に信じ願っていました。

父親(デイビッドには“ママの夫”でしょうか)が、連れてきた張本人のくせに『ロボットなんだから、何を考えてどんな行動を取るのか分からないんだぞ!』とか言ってましたけれど、それって人間も同じでしょうが。
相手が何を考えて、何をするかなんてのは当人以外にとっては想像の範疇なのです。
もちろん自分の経験を基に推測することは可能ですが、それはロボットがデータを基に判断するのと似ています。
デイビッドが本当に信じていたのか、“信じる”という動作をプログラミングで行っていたのか。
さて、あなたは何を信じますか?

創ったのが人間なので至極当たり前ではありますが、ロボットの存在は『まず始めに人間ありき』なんですよね。
この視点から見て、人間のそれは何にあたるか。
それはもはや人外の領域ではないかと。
人間が入ってはいけない不可侵の領域。
そんな領域に人間が到達して、『創造主』になるという事が果たして許されるのだろうか。
許される?許されない?
一体誰から?