キットカットガール

クワイエットルームにようこそのキットカットガールのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

※私的レビュー

 深く、細長い呼吸を一つ。小雨が降っているけれど、どうしても外の空気が必要だった。個人的には非常に辛い2時間だった。過去に拒食症/過食症で入院し、現在進行形で治療している身としては、心地良いものではなくて、終始胸が締め付けられるくらい、他人事だと割り切っては観られなかった(鑑賞前にあらすじを読んでおくべきだったと反省)。胃が痛い。
 とにかく、『17歳のカルテ』や『嫌われ松子の一生』の鑑賞時と同様に、鈍さと鋭さを兼ね備えた苦しみと言葉にできない何かの間に落ちてしまったような感覚があった。事実、『17歳のカルテ』との共通点・類似点は多い。また、自分が自然主義的描写がビビットな邦画があまり、否、かなり得意ではないとよく理解した。
 然りとて、もし自分が摂食障害や精神科(病棟)とは無縁の人生を送っていたのならば、本作に対する見解も印象も異なっていたと考える。
 幸せの形は十人十色だが、何が「普通」で、その「普通」が少なからず人生を生き易くする要素である事は皆が知っているから。だからこそ、「普通」をごく自然に手中に収めておけない人々は、それを求めるしかない。しかし、どれほどの理想・計画・構想があり、どれほど「正解」について知っていたとしても、自身の身体をコントロールできない現実が、一抹の希望さえも打ち砕いていく。「loop」栗田ノリコのメールアドレスにあったこの単語が、彼女たち(私も含まれるのかもしれないが)のその後を予感させ、一層胸がぐわっとなる。あぁ辛いな、悲しいな、苦しいな、普通になりたかったな。