純

ソフィーの選択の純のレビュー・感想・評価

ソフィーの選択(1982年製作の映画)
4.8
ずいぶん前からずっと観たくて、1ヶ月前にようやく鑑賞できた作品。メリル・ストリープ出演作ではダントツに好きだった。

若者が、過去と共に生きる隣人について語る形式が『グレート・ギャツビー』を思い起こさせる。ギャツビー同様に、当事者が語らないことで、深みが出ている作品だと思う。前半では軽い一悶着はあるものの、幸せに生きるソフィーとネイサンが眩しく描かれていて、だからこそ後半に諸々の事実が判明すると、その仮でしかない幸せが儚く痛い。でも、それが彼らにとって、ないし彼女にとっては本物の幸せだったのかもしれないし、彼の、彼らの生き方であるのは間違いない。共依存して生きるふたりはある意味本当の愛、慈しみの心で結ばれていたのかもしれないと思う。不完全な彼らだから一緒に居られる。そのあまりに悲しくて愛おしいふたりという存在が、何よりも尊く感じられる。

この作品は、ホロコーストを生き延びたひとたちがかかりやすい、サバイバーズ・ギルトを特別な方向から強烈に描いていると感じた。ソフィーの、重いという言葉では軽すぎるような、突き刺さるほど鋭い傷跡を残した、自分が生き延びることができた過去が、青い光の中照らされながら佇む彼女の口から語られるシーンは美しすぎて、辛い過去がより際立ち、彼女の抱える哀しみが痛いほど沁みた。孤独や悲哀が周りを包み込んでいるような人生は選択であり、ひとつの選択がそれまでの何もかもを否定してしまうこともあれば、一生ひとりで抱え込まないといけない重荷となることもある。ソフィーが生き延びるため、誰かのために「しなければいけない」選択に迫られたときにした究極の選択は、生き延びた後も、生き延びたからこそ永遠につきまとって離れない。ソフィーは自分のしたことの重みや罪深さを自覚しているからこそ、その過去を振り払うのではなく自ら話さないように、むしろ誰かと悲しみを分け合うことを徹底して許さず、自分ひとりで背負って生きてきた。もともと、ひとは過去を葬り去るのではなく、受け入れて共に生きていくのが責任のある生き方ではあると私は思っている。それでも、こんなに辛い過去をひとりでずっと抱えて、誰にも負担をかけないように隠して、幸せを感じても罪悪感が増すだけなのにそれはぐっと堪えることなんて、私にはきっとできない。

特別な方向から描いたサバイバーズ・ギルト、というのは、単に自分だけが生き残ったことからきたものではない。こういった書き方をすると、サバイバーズ・ギルトに苦しむ多くのひとたちを軽視しているように捉えられてしまうかもしれないけど、決してそういうつもりはない。ソフィーの場合は、自分が1番残酷なことをしたことを知っているから、誰よりも罪の意識が強いんだろう。だからこそ、ホロコーストの最中に彼女はこれでもかというくらい息子を生き残らせようとした。あれは、ああいった行為に出ることで、二重の意味で母親として生きたかったんだろうね。母親を全うしたかったんだろう。本当にこのへんは彼女の心境を思いやるとあまりにやるせなくて、胸が痛い。

自分が1番残酷なことをしたことを知っている、という表現をさせてもらったけど、この映画を観て思ったのは、「選ぶ権利がある」ことの重み、残酷さだった。選択権がない、ことだってひとを苦しめる。だけど、場合によっては「選ばないといけない」こと、「選択権がある」ことがひとを縛り付けることだっとある。この過去ひとつで、ソフィーの強さが分かる。分かる、なんておこがましいんだけど。別のサイトで分かったんだけど、問題の発言のところ、実は意訳されてるんだそう。より分かりやすくするために。でも、それは原作の意図とズレうるのかなと感じた。指すものは同じでも、表現によってかなり思い切った訳だと思う。あの言葉を口にしたとき、彼女は何を思っていたんだろう。

メリル・ストリープの演技は言うまでもなく、脚本も首尾一貫して美しく、最後のシーンの余韻も本当に良かった。彼女はあまりに言語を操るのに長けていて、なりきり具合が本当に素晴らしいと思う。重い過去を背負う女性の悲哀、美しさの象徴のような、怖いほどの透明感を持ち合わせた当時の彼女の底知れない魅力を感じられた。この頃のメリル・ストリープの出演作は傑作だらけでもう言葉がないね。

ホロコーストものは怖くて観られない、というひとにも、いや、もうどんなひとにも観てほしい良作。残酷で痛々しい描写はなく、あくまで心の傷を取り扱った作品だから、グロい描写が無理、というひとでも挑戦できると思う(実際私がそのタイプ)。過去を背負って生きるということの苦しみ、重み、切なさ、哀しみを最大限に私たちに教えてくれる、一生大切にしたい1本になった。
純