ツクヨミ

WANDA/ワンダのツクヨミのレビュー・感想・評価

WANDA/ワンダ(1970年製作の映画)
5.0
自らの精神が崩壊した時、人は心を失うということを痛感し共感せざるを得ない。それはまさに映画史に微かに見えた"小さな宝石"。
ペンシルベニアの炭鉱町に住むワンダは小さな子どもと夫家族と暮らしていたが、夫に離婚を要求されてしまい…
バーバラ・ローデン監督作品。俳優でエリア・カザン監督の妻だったバーバラ・ローデンが初監督を務めた本作は、1970年ヴェネチア国際映画祭で最優秀外国映画賞を受賞したがアメリカ本国ではあまり良い評価を受けず映画史の中に忘れられた存在だったらしい。しかし2000年代になってたまたま保管庫でフィルムが発見され奇跡の上映が決まる、そんな奇跡的な一編をいざ観賞してみると閉塞感と不安からか劇中のワンダとの共感で精神が死んでしまう特異な映画体験を感じた。
まず今作はシンプルに言うと、主人公ワンダがどんどん酷い目にあっていくというストーリーになっている。沁みったれた炭鉱町で子どもが泣き叫ぶ閉塞感、なかなか育児や家事に性を出さないからか夫に見限られ離婚、先週働いた日雇い工場に給料を受け取りに行ったら7割ぐらい税金で取られ手取りが少なすぎる、お金も無く仕方なしに映画館に行ったらお金をすられる、などなど社会的にも経済的にも徐々に追い詰められていくワンダの姿に共感し行き場のない閉塞感と不安感に押しつぶされそうになった。そしてワンダの性格からかなかなか強気に行動できず、なすがままに受動的になってしまうワンダの姿に自らを投影してしまう自分にびっくりする。精神的な負担をかけ続けられると人は精神が死んでしまい心がからっぽになってしまうのだ。そうなると何事にもやる気が起きずボーっとしてしまい、人から何かを指示されるとそのまま従ってしまう。自分も精神的に追い詰められた時そんな状態になる時があり、めちゃくちゃ共感。この時点で今作が自らのリアルと繋がる大事な作品になったのは間違いない。
そしてデニスという窃盗常習犯と出会いワンダのいく末はどんどんおかしな方向へ、小さな窃盗や脅迫などの犯罪行為を共謀させられる展開になってしまう。犯罪行為と社会からの逃亡はやはり今作が撮られた70年代アメリカのトレンドであるアメリカン・ニュー・シネマの影響が強いと感じたし、田舎の町で燻り犯罪や逃避から抜け出せなくなるという閉塞感は"リバー・オブ・グラス"のケリー・ライカート監督作品をめちゃくちゃ感じた。ケリー・ライカート監督が今作を絶賛するのにめちゃくちゃ納得がいくし、やはり女性的視点で語る作品群に多大なる影響を与えているのは間違いないだろう。そして女性の抑圧をうまく表現した作品ではシャンタル・アケルマン監督"ジャンヌ・ディエルマン、コメルス河畔通り23番地、ブリュッセル1080"を想起させる。同じく70年代の作品であるし、今作と合わせて自らを抑圧した人間の物語が個人的に大好きなんだと気づけた。
またラストにかけての展開はかなり辛辣で、なすがままだが自分を必要としてくれた存在を得たワンダに降りかかる悲劇が強く胸を打つ。ワンダの表情のクローズアップもさることながら、空っぽだったワンダの心に更なる大穴を開けたであろうことを考えると辛すぎる。そしてまたワンダに降りかかる男の魔の手→男を叩き泣きながら森に逃げるワンダ→草むらに向かって泣きじゃくるワンダ→森から青い空を見据えたショットの繋ぎがうまくてこのシーンだけで大号泣。そしてラストシーンの飲み会シークエンスに孤独に佇み無言で飲み食いするワンダの姿に忙殺され、くしゃくしゃの顔のままストップモーションするラストショットになすがまま見つめるしかない自分がいた。この物語に救いはなかった、というか救いなどはいらないのだ。これからずっとワンダは社会に搾取されながら生きていく、それだけでワンダの物語に共感できるし一抹の親近感を強く感じた。
公開当時はあまり認知されず、現代になってやっと評価を受けた稀有な作品というワンダの孤独さを感じる変遷が好印象であるし、精神的に追い詰められた時に人は無感情になるという事象をうまく映像にした素晴らしい作品なのは間違いない。またじわじわ強くなる閉塞感と不安から見終わった後、劇中のワンダと同じように心が死んでしまう稀有な体験を感じるのは唯一無二だし、ワンダの佇まいに自らを重ね合わすことができる時点で、今作が自分の性格を語る上でめちゃくちゃ大事な作品になった。最高の体験をありがとう、バーバラ・ローデン監督、一生崇めます。
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