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地下幻燈劇画 少女椿のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

地下幻燈劇画 少女椿(1992年製作の映画)
2.1

このレビューはネタバレを含みます

密閉映劇霧生館製作、配給。絵津久秋(原田浩)監督作品。丸尾末広の同名漫画が原作。人の世の地獄を描いた救われない物語。国内ではソフト化されておらず、『MIDORI』というタイトルでフランスにてDVDが発売されているのみである。その過激な内容から各方面で賛否両論があがる。音楽を担当するのは天井桟敷にて寺山監督作品の音楽を担当し、自らも後に万有引力を結成したJ.A.シーザー。
父が家出し、貧しい少女ミドリは寝たきり母親と二人で東京の下町の荒ら屋に住み、花を売って生計を立てている。ある時、親切な山高帽の中年男性に「困ったらいつでもおいで」と声をかけられる。この地獄のような生活から抜け出せるかも知れない、憧れの遠足に行けると歓喜するミドリだったが家に帰ると母親はネズミが陰部から侵入し、内蔵を食い荒らされ絶命していた。失意の中のミドリは、藁をも縋る思いで山高帽のおじさんのもとへ立ち寄ったが、じつはその男性は見世物小屋の経営者であり、ミドリは入団することとなってしまう。地獄の日々を抜け出した先は更なる地獄。生き物を殺し、奇形の男たちに犯され、理不尽な扱きと虐めに合う日々。興行で地方を転々とするため逃げることも出来ず、身寄りもないので引き取り手もない。畜生外道の中、ミドリはただ生き続ける。やがて、小屋に新たな芸人がやってきた。西洋幻術(マジック)を得意とする小人症の男、ワンダー正光。胡散臭い男ではあるが、ミドリはその優しさに惹かれ、好意を寄せる。つかの間の幸せな時間。正光は大衆から絶大な人気を得て、一座を支配するまでになる。一度は彼と結婚を誓うミドリだったが、彼の異常なまでの自分への愛情に恐怖を感じてしまう。そこからが新たな地獄の始まり。彼女の哀歌は終幕へと続く。
不快な気分を抱いてしまうほどの徹底したエロ・グロの世界。ここまで救われないと観ていて痛々しく、映像は暴力と化している。所謂三幕構成となっており、プロローグとして「扉絵 みどりちゃん見世物小屋へゆく」、そして「第一歌 忍耐と服従」、「第二歌 侏儒が夜来る」、「終幕歌 桜の花の満開の下」とある。いきなりの雷鳴と地獄絵図から始まる本作は、深作欣二の暴力映画のようにその後の救われぬ地獄を表すおどろおどろしい作りとなっている。画の紙芝居のような連続性を利用して進む物語である。
この物語の時代背景としては、徳利児鞭棄の冠る軍帽と、ミドリのもとへ訪れる松竹蒲田の稲垣から(松竹蒲田は1920年開所、1936年には閉所して大船へと移転している)大正末期〜昭和初期と考えられる。社会の根底にある闇の部分にスポットを当て、フィクションでありながらもそれが単なる創作話であることを誰も否定できない。好みの作品と云うより、むしろ嫌悪を抱くほどであるが目を逸らすこともまた難しい作品。せめて、その後の未来に光があると感じさせて欲しかった。
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