Qちゃん

地下幻燈劇画 少女椿のQちゃんのレビュー・感想・評価

地下幻燈劇画 少女椿(1992年製作の映画)
3.8
ハイスクールミュージカル観た次に観た映画がコレとか。。

アングラな昭和レトロが前から気になってて、思い切って観てみた。

よく言われるエログロ(グロ多め)は確かにそうなんだが、もっとイメージ先行のナンセンス映画かと思いきや、意外とテーマが明確で、思ってた以上に、そして巷で言われてる以上に話がハッキリしてて、なかなか面白かった。
原作のマンガと、元になった紙芝居を読んでないから、アニメ化に当たってそういう風にテーマを絞った可能性は無きにしもあらずだけど。

戦後昭和の貧しい時代、幼いみどりは両親を悲惨な形で失い、困った時には助けると言った親切なオジサンに騙され、彼が座長を務める見世物小屋の下働きにさせられてしまう。学校にも行けず、異形の団員たちには苛められ、絶望の日々を送っていたみどりだが、小人症の幻術使い、ワンダー正光が団員に加わったことで風向きが変わっていく。

。。というのは、あくまでもみどりの主観的なストーリー。みどりの視点を主軸として物語が展開するからか、この映画関連のサイトを見ると、いかにみどりの状況が悲惨かばかり書かれている。

しかし正直、実際に映画を観た印象では、私が、そしてみどりが思い込んでいたほどは、周りは彼女を冷遇していない。
そして、この時代、幼くして両親をなくした女の子の境遇で言えば、もっと悲惨な道を辿る子の方が多いんじゃないだろうか、とも思う。

もちろん彼女は間違いなく不運で悲惨な境遇にいる。そして、その現実は、学校の遠足を何よりも楽しみにしているような、年端もいかないみどりにとっては恐ろしく残酷な現実だ。

だが、不幸な星のもと、そんな境遇になってしまった以上、本当は彼女は、覚悟を決めてその人生に全力で向き合って生きていくべきだっただろう。しかし彼女は、そんな運命に従うことを拒み続け、叶うことのない元の生活を夢見て、一緒に生きていかねばならない異形の団員たちを蔑み、自分はこの人たちとは違うと線を引き続ける。

座長は彼女を騙してはいない。彼が提供できる仕事を斡旋してくれただけだ。人身売買された訳でも、手篭めにされた訳でもない。

見世物小屋の人間は、居場所もないくらいにみどりのことをいじめ抜いているのかと思いきや、意外と受け入れてくれている。
あんまり彼女への配慮はなくからかったりイジったりするが、それは仲間内の愛情表現でもあるし、彼らだって社会の除け者にされて懸命に生きている中、絶望するばかりで順応する努力をしないみどりは、甘ったれてるとしか見えなかっただろう。
それに、みどりは舞台に立たない下働きで、実際に金を稼いでるわけではない。貧しい見世物小屋で、食いぶちが増えただけの状態。しかも、食わせてやってる自分たちを見下し化け物扱いする人間を、追い出さないだけ優しい。

時々そんなみどりへの思いや好意から、団員たち自身に教養や感性面で豊富な人生経験が無い中、極度の行動でみどりを脅かしたりはしているけど。
カナブンの犬の件、カナブン自身がみどりと同じような年で、うまく見世物小屋で生きてくために女の子のなりして、団長に身売りもしてた中、みどりの言動は純粋に鬱陶しかったに違いない。
そして鞭棄、みどりからしたらたまらないが、これもイジメではなくて、好意の示し方が分からなかっただけ。

のちに出てくるワンダー正光は、人間界を見降ろす悪魔、もしくは仙人といった役回り。この映画の核心は、みどりへの怒り冷めやらぬ彼が、集まって暴言を吐く観客たちに対して舞台上で言い放ったセリフに集約されていると思う。「臆病なくせに物見高く、なまけもののくせに欲深く、被害者意識の固まりで、そのくせ世の中を我が物顔で歩きまわる健康うすのろだ」
みどりもそう、でも、彼はまだ幼い彼女が残酷な運命に立ち向かえないことに同情して、別の人生の幻影を抱き続けることを許容している。
しかし、映画のプロデューサーの件は、みどりからしたらワンダー正光の暴挙だが、あの描き方をみると、あれはおそらくプロデューサーを装った人買い。見世物小屋での安寧の立場と心の平穏、家族の幻影、全て提供してあげたのに、欲深く更に上位の生活まで夢見た彼女に、ワンダー正光は怒り狂ったのだろう。

団長にしても、ワンダー正光にしても、山高帽の男たちは、みどりに転機をもたらす存在。両親なき今、団長は彼女の現実を突きつける存在で、ワンダー正光は幻影に囚われた生き方を是認する存在。

彼女は最後まで幻影を求める人生を望む。が、幻影は圧倒的な現実の前には無意味で、太刀打ちできない。ありもしない幻影ばかりを追う者は、結局全てを失って孤独と絶望に慄くことになる。この時代にそれは、死すら意味する。

桜の下で、死者生者問わず固まって笑う幻影。多くの解説サイトが「楽しそうに宴会をしている」「朗らかに笑っている」と記載しているが、あれはどう見ても嘲笑である。甘い夢想から抜け出せず現実を無視し続けて現在に至ったみどりへの嘲笑だ。
みどりも、それを分かっている。だからこその彼女の慟哭、「いけずーー!!」(いじわる!!なんで夢見させてくれないの!?)がある。

改めて、これら全てはまだ10代前半の少女に選択を迫るにはあまりに酷な現実。でも現実である以上、みどりは顔を背けていてはいけなかったのだろう。

。。すごい書いちゃった。。お粗末。
Qちゃん

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